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山梨に移住した川崎の寺息子、1年経っての(自己紹介代わりの)近況報告

初めましての方は初めまして。

川崎にいた頃に出会った方はお久しぶりです。

それより前からの人は、本当にご無沙汰しております。

あ、山梨に来てからお知り合いになった方は、ここまでありがとうございます。

突然「山梨県に移住する!」と川崎の実家のお寺を離れて、気が付けば1年以上が経ちました。

▼実家はここです。ちなみに。

初めてお会いする人にもお名刺代わりに、山梨県に来る前と来てからの話がこのnote記事で伝えられたらうれしいです。

※nicot mam’s のチラシから見ている方は、川崎の話あたりから読むと身近だと思います。。。!

めっちゃ基本情報から

名前は嶋田尚教といいます。初見下の名前を読んでもらえないですが「ひさのり」です。

最近千葉ロッテマリーンズで活躍している安田選手が「ひさのり(尚憲)」でした。

今年で29歳になる年です。毎年「今年も生き延びたね」って言って歳をとります。

元々は神奈川県川崎市のお寺生まれです。これまでの居住歴は川崎→栃木県那須郡那須町(中学、寮)→川崎(震災で一時寮生活中断)→相模原→川崎(大学入学で実家に戻りそのまま都内の企業に入社)→山梨県甲府エリア(現在)です。書き出すと結構いろんなところに行ってる気が…

現在の肩書きを並べると、

なんか、多くね?

うん、多いと思います。

詳しくは後ほど…

趣味のうち、特技と呼べるものは「野球」「スキー」「歌うこと」「ライティング」、そうでないものなら「酒を嗜むこと(要は飲むこと)」「読書」です。

座右の銘は「人生粘り打ち」と「自分の中に毒を持て(※芸術家岡本太郎先生の言葉)」です。これも後ほど…

基本情報はこの辺でしょうか。

川崎(溝の口)にいたころの話

自己紹介の一環で、溝の口にいたころの話をします。

生まれ、育ったまち

ここまで何度か言っているように、実家は川崎市内のお寺です。今も時折帰って、実家のお手伝いをしてるので会うこともあるかもしれません。

何よりも、生まれ育ったまちで、
愛着もあります。

富士山が望めるまちでもありました

中学くらいまでは、「家出したい」くらい、家のばたばたや家庭の中でやらされることに対して不満だらけでした(現に寮のある地方の学校に行って家出を実現したくらいには)。

でも、離れてみてわかる地元のよさ(と実家の居心地の良さ)。それもあって戻ってきました。

まちづくりにも携わった

社会人3年目になって、ふとしたときに「まちづくりカフェたかつ」というイベントに参加しました。知り合いのお坊さんがそっと「こういうのあるけど、来る?」と言われて。

2020年2月開催時の。直後からコロナ禍へ

それ以来、実家のお寺を盛り上げていくタネ探し、つながり探しの旅が始まっていました。

あるときはバスに乗って遠くの公演のイベントの手伝いに。

ミニカワサキ2022

あるときはSDGsと絡めた地域のお祭りの手伝いに。

これは新百合ヶ丘。

これらの根底には、「まちに住まわせてもらっているから、その恩返しに」があります。

一旦は出ていったけど、帰ってきても受け入れてくれる川崎、高津のまち。

だから何かしたいよね、という気持ちもあったし、NPOの活動の課題にありがちな「財源」の問題解決を考えるために2019年に取得した「准認定ファンドレイザー」の資格もあったので、お寺のことも考えながら、そもそも「まちの活動や市民活動をどう盛り上げるのが良いのか?」を実地で体で頭で感じていた時期だったと思います。

「地域活動」あるいは「NPO」との出会い

そもそも、「地域活動」「NPO」を知ったのは、大学時代。

生協学生委員会に入っていたことと、研究分野が「非営利組織会計」、特に「非財務情報」や「広報」の領域にあったこととが、強く関係しています。

生協学生委員会の追い出しコンパ。
寝れないので「アイマスク」を要望したら
本当にもらった。
いまだに使ってる。

生協学生委員会では、公益ではなく共益(お金を出し合って、出し合った人たちが便益を享受する。協同組合の多くは共益組織)ではあったけども、大学生活を送る中で便益を提供する、ないしは不便を解消するソリューションを、儲けは少ないけども届けられる大学生をいかに増やすか、ということにこだわりました。

特に、大学生特有の事象に特化した保険(正確には共済)は、「最初なんか勧められて加入したけどなにこれ?」ってなるので、大切さを伝えるため、また受給対象の人にちゃんと受給してもらうために、広報活動を立ち上げて動かしていました。

当時作った「共催ボード」。
「広報」は、この頃から
大きな関心ごとだったのです。

そちらが「カラダ」なら、研究活動は「アタマ」という感じです。

非営利組織、特に自分のルーツでもある「宗教法人」は、情報開示が遅れている、というのが一般的な印象です(坊主丸儲けという言葉にも表れているように)。

だから、情報開示する、または「こういう社会貢献をしているのです」と主張することが必要ではないか?ということを研究していました。

タイトルは「宗教法人の情報開示 公益性の観点から」

そのような研究をしている中で出会ったのがNPOでした。

NPOとまちづくりに深い関心まで持つようになった最初のきっかけ
NPO法人アクションポート横浜主催の
横浜アクションフォーラム。2019年のこと。

情報開示が進み、社会貢献活動でお金を(助成金や寄付金で)集めて事業を成り立たせて、継続し続ける組織体。

そういう点で魅力的かつ、お寺のこれから先の形に近いものと考えていました。

実際、今でも「お寺というコミュニティを活かす」という活動には関わっているし、実家は「溝口の文化の発信地」にするためにはどうすればいいか?ということは日々考えています(実際資産が沢山あります)。

いつかは、実家のお寺での仕事も、作っていきたいなとも思っています。

主戦場にはしたかった、でもならなかった、「ソーシャル」

そんな関心は「非営利」「社会貢献」だったのに、仕事にはしませんでした。というよりも、「そういう仕事を見つける努力を怠った」が正しいでしょうか。

都内で開かれたKIFUBARでプレゼン。

資格勉強をしていたのもあり、就活にかなり遅れをとってスタート。周りが3年生の8月にスタートしている中、12月から業界や企業研究をし出しましたが、その中に「NPO」や「ソーシャルビジネス」は選択肢にありませんでした。

ただ、今思えばもっと調べて受けてもよかったな、と後悔しています。選択肢になかった原因は主に3つ。

  • 仕事のイメージがつかなかった

  • 稼げるのか?という問いに自信がなかった

  • そもそもそういう法人などを調べてなかった(知らなかった)

上記の点から、どちらかといえば「努力を怠った」に近い気がしています。コンサルとか頭に汗かく系がやりたい、とは言っていたので、まさにソーシャル系でもなにも問題ないはずなのに…

普通に会社員になって、その横でNPOの事業を支えるための仕組みを作る「ファンドレイジング」に出会ったのは、その2年後くらい。

偶然入ったオンラインサロンで知り、すぐ資格取得に走りました。

「これだ、やりたいのは。」

世の中の「おかしいぞこれは」を質す。
「世直し」を支える。
「欲しかった価値」を広める。

その仕事に憧れを持ち、それだけでなく取り組んで、実際に2020年には資格取得とボランティアでのファンドレイジングのサポートが始まり、仕事ではないけど、その戦場には立っていたのです。

【表現活動】という社会貢献

ちなみに、そのファンドレイジングへの関心は、研究とも関係があるという点で、非営利組織経営に対する関心とも共通するのですが、その中で出会ったのがNPO法人コモンビートさん。

この団体を知ったのは、2019年に大学の頃の友達に誘われて、この団体の主催しているミュージカルの公演を観に行ったところからでした。

公演終了後、電車の中で団体のことをめっちゃ調べて、団体の経営を知り、その「1回の参加から人がいろんなことに参加できる仕組み化」「メッセージの作り込み方」に感動して、気がついたら賛助会員になって支える側になっていました。笑

そこから4年、昨年とうとう出る側になっていました。笑

ミュージカルの1シーン。
1番左が私です💃

大変でしたが、表現する側になることでわかる、「自分と向き合うこと」を体感する機会になってたことは間違いないです。と同時にこれが一つ社会貢献の形なのかな?とも思います。

(今回、nicot mom'sさんに応援した理由は、まちづくりと表現とを融合した活動だったからなのもあるのよね)

▼その辺の想いはこちらにまとまってます

山梨県に来てからの話

ではなぜ、そこから「山梨県」が繋がったのか?がここから話すことです。長いな。

都内の会社勤めから一転して、突如、「今の仕事に限界を感じたし、前々から叶えたかった地方移住、やってみようじゃん」と、動いたのが2022年末。

きっかけは仕事疲れではあったものの、「じゃあどこに行こうかな?」でかなり迷いました。

ご縁あっての「山梨県」

ふらっと訪れた、知り合いのお寺が
甲斐善光寺でした

候補がいくつかある中で、「山梨県甲府エリア」に定まったのは、2020年からサポートをしていたNPO、SOCIALTEMPLEさんと話し合ってる時に、ふと「もう今の仕事はいい、なんかいい移住先ないですかね。遁世したいっす」と話したことから。

SOCIALTEMPLEは、山梨県のお寺のお坊さんたちで作った地域活動団体。地域食堂、お寺や仏教のオンラインメディア運営などを事業としています。

3年近く寄付集めのお手伝いから、事業報告書の作成などを手伝っているなかで、現地にも訪問していて、言われたのは

「とりあえず、来れば?
なんか変えたほうがいい」

と。

普段言われたら、「冗談でしょ」って感じだったのが、この時はなんか本気にしていました。

山梨、ありじゃん?

もうそこからはとんとん拍子で(といいつつ、移住イベントに行くなどの準備は相当したけど)、進みました。

まちづくりも、NPOの支援も、川崎で始めていた中で、その名残惜しさもありましたが。。。(なので川崎自体は今も好きです)

気が付いたら山梨県の「まちづくり」「ソーシャル」に携わっていた

そんな調子で山梨県に来てしまいました。びっくり。

川崎の人口の10分の1しかいない甲府市。その分、人の顔の見える数が明らかに増えた気がします。そりゃそうか。

山梨県に来ても、遁世…どころかむしろ「まちづくり」「ソーシャル」という枠組みのいろんなものに、知り合いづてで巻き込まれまれていきます。ひええ。

①SOCIAL TEMPLEの新規事業立ち上げ

下見で行ったイベント。なんの写真でしょう?

山梨に来るきっかけをくださったお寺のお坊さんたちで作ったNPOの新たな局面に差し掛かる中、事業構想会で生まれたとある事業の立ち上げが始まり、その事務局長的なポジションで動いております。近々公表するので楽しみに。。。!

②まちづくりNPOの立ち上げ支援(現在理事)

まちづくりの「think & do」をする貯蔵庫。
まちづくり法人山梨タンク

こちらは、横浜の中間支援団体から取次があり、引き受けた、「甲府経済新聞」とイベント事務局の2つを武器にまちづくりに挑むNPOの立ち上げ。

最初はファンドレイジングのサポート、と聞いていたのですが、そのまま事業設計、組織設計も合わせて対応したので、実質経営管理責任者のような立場になっていました。

もはや自分じゃないとできないことをいろいろ作ってしまったので、理事に就任させていただき、さらにコミットすることに。楽しくまちづくりします。

③「飲めば飲むほど寄付になる」KIFUBAR山梨主催

2024年1月開催時。
北陸応援のKIFUBARには
多くの人とお酒と食べ物が集まりました

東京都内を中心に開催されている「KIFUBAR」。コロナ禍を乗り越えて再開した2022年でしたが、2023年に入って「地方展開も再開!」と思って始めた山梨開催。

今ではさらに全国に広がり、楽しく飲みながら地域貢献を知り、寄付しています。

いろんなものに揉まれて(楽しく)まちづくりとソーシャルグッドの融合した日々を過ごしています。

これからの活動の話

ここまで過去と、近況報告を話しました。最後はこれからの話をします。

まちづくり、にホンキです。

川崎で関わっていたまちづくり、先述のように山梨でも巻き込まれて、気が付いたらコミット具合が大変なことに。

スタート当初の総会。懐かしい。

「まちづくり法人山梨タンク」の活動はまだまだこれから(何より1月に設立なので、今年は最初に作った事業をしっかり行うことに集中します)ですが、いつかは山梨と川崎とで、まちづくりのことで交流出来たらいいなあと思っています。

山梨も、川崎も好きな町だと、自信をもって言えるので、貢献できることを探し続けたいし、「まちづくりにホンキです」と言っても恥ずかしくないくらい、活動量も増やしていこうと思います。

「まちづくり活動」のファンドレイジングや事業構築のことならお話しできると思いますので、お気軽にお誘いください!

▼問い合わせ先はこちらのFacebookまで。

ソーシャルで、生きていきます。

山梨に来て、新たな仕事をいただくようになりました。

それは、さっき書いたアレです。

「これだ、やりたいのは。」

世の中の「おかしいぞこれは」を質す。
「世直し」を支える。
「欲しかった価値」を広める。

このように書いた、やりたかった仕事。それは「山梨県内の社会課題に取り組む個人・団体を支援し、より広く社会をよくする人(仲間)を増やすこと」です。

2024年5月より、市民の課題を、市民で解決するために、市民で作るコミュニティ財団「甲斐の国コミュニティ基金」の設立を目指す準備会で活動を始めました。

市民コミュニティ財団とは、地域のさまざまな課題に取り組むための資金を集め、それを支援が必要なプロジェクトやソーシャルセクター(NPO、公益法人、社会福祉法人など)に「助成金」や「基金」という形で分配する非営利組織です。

記事より

これまで、ソーシャルの分野で働く、と言えば、実際にNPOなどと関わるか、NPOをターゲットとした企業に入る、くらいしか選択肢がないと思っていたのですが、「中間支援組織をイチから作ってそこで活動する」という選択肢が示されました。

「これはやるしかない」

ということで、かなりの時間をこの設立準備に費やしています。設立まではいばらの道ですが、イチから作れることを楽しんでいきます。

★山梨県内にご縁がある方、山梨県のNPO等の知り合いがいる方、ぜひ教えてください…!せっかくならこの話を広めていただけると嬉しいです!

▼Facebookページもぜひフォローしてください!

この先しばらくは「やまなし」で

こんな感じで、山梨県の「まちづくり」「ソーシャル」の2つの活動にコミットしているので、この先しばらくは「やまなし」にいることになると思います。

上記のような活動にまで食い込んでいる以上、やれるところまでやりきりたい、という気持ちがあるので。

何度も言うようですが、川崎も山梨も好きな町。

楽しく快適に住まわせてもらっているので、恩返しをする。

町にとっての恩返しは、「地域が盛り上がっていること」「地域の困ったを解決していけること」の2つなのかな?と思っています!


気が付いたら6,000字超の自己紹介代わりの近況報告でした。

何か感想でも気になることでもあれば、noteにコメントを残していってくださいね!


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嶋田尚教(しまさん)
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