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イメージをアタマから「夢の」外に出す喜びについて【しまさんの読むRadio】

お休みの日の朝というのは、リラックスタイムなことが多いのではないでしょうか。ゆっくり寝て起きた朝(人によっては昼かもしれませんが笑)、コーヒーとか抹茶とか飲みながら、テレビとかYoutubeとかみながら、ちょっと考え事することもあると思います。

少なくとも、僕はそうです。

会社員なので会社の仕事をしている横で、ボランティア(一般社団法人ソーシャルテンプル)やイベント運営(KIFUBARコモンビートなど)、ブログやnote執筆と、「お前プライベートあるのか?」と先輩や同期(同級生)に心配されます(笑)。まあ最近はそういう人も多くなってきたので、言われなくなりましたが。

これが今も続いているのは、タイトル通り、イメージや考え事をアタマから外に出すことがやはり好きなんだろうな、というところでしょう。

好きこそものの上手・・・?

よく、ことわざで「好きこそものの上手なれ」とは言いますが、その対義語的に「下手の横好き」というのもあります。

僕の場合はどっちなんだろう、と思うことが多いですが、こういうときには「周りが言うことのほうが正解」のことが多いと思っています。

「周りのコメントなんか気にせず熱心にやれ」
「お前の人生はお前のものだ」
「好きなことで生きていく」

こんな言葉があふれる今だから、余計に思うのは「周りが良い!と評価してくれるものがおそらく得意なもの」だよ、ということです。

この話でよく引き合いに出されるのが、「シャーロックホームズ」のコナン・ドイル氏。本人は心霊主義や哲学などに没頭する人だったんですが、名作を書けてしまう人であり、ヒットしすぎて書くのに嫌気がさして(書くのはあまり好きじゃなかったといわれていた)一度シリーズを終わらせるということをしています。

周りの評価と自分の好きなことのズレでちょっと不幸せなパターン(?)ですね。

「夢の外へ」と

とまあ、自分の考えを勝手に述べましたが、主題はどちらかというと

これが今も続いているのは、タイトル通り、イメージや考え事をアタマから外に出すことがやはり好きなんだろうな、というところでしょう。

この話でした。


休日だろうと関係なく、「イメージや考え事をアタマから外に出すこと」をする理由をなんとなく、星野源の「夢の外へ」に見つけた気がしたのでnoteを開いたのでした。

星野源さんご自身は「童貞の勝手な妄想を歌った」とおっしゃっているこの曲ですが、そこに(個人的に勝手に)意味を見出してしまったのです(笑)


普段から、僕の頭には「イメージ」、もとい、「妄想」が渦巻いてます。

「あんなこと、できるんじゃないかな」
「こういうものなら、僕の手でも作れるんじゃないかな」
「ほかでできているコレ、僕の手で再現できないかな」

といった感じです。

あくまで「妄想」なのですが、その「妄想」を場合によってはある程度の形にすることがあります。それがnoteの文章になったり、ボランティア活動内のものになったり、仕事上で生まれたりします。


「夢の外へ連れてって」


これが冒頭のフレーズですが、自分はどちらかというと連れていく側かもしれません。自分自身の妄想から形になるものは「誰かにこうしてあげたら喜んでもらって、自分もハッピーになる」ということが多いです。

じゃなければやらない、というくらいきっぱりとしてもいますが(笑)

「僕は真ん中をゆく」

「夢の外へ」で好きなフレーズがあります。


自分だけ見えるものと
大勢で見る世界の
どちらが嘘か選べばいい
君はどちらをゆく
僕は真ん中をゆく


「自分だけが見えるもの」が「妄想の世界」、「大勢で見る世界」が「現実の世界」と置換すると、「どっちが嘘だと思うかは自分で選びなさい」というわけです。そして主人公(=星野さん)は「いやその真ん中をいくさ」というのです。

この場合の「真ん中」「アートの世界」ということなのかもしれません。だって、「イメージ」を外に出して、「現実」に見せられる状態に持っていくのが「芸」の世界ですし。

そう考えると、この部分は「星野源自身の(またはアーティストという集合名詞における)アーティスト活動の定義」とも感じます。


で、ボクもおそらく同じ立場で、芸の世界ではないけど、頭の中にある「あったらいいな」を頭(=夢=イメージ)の外に出すことが仕事だったり、趣味だったり、そしてなにより「喜び」だったりするのです。

以前、NPO法人カタリバ代表の今村さんのお話をお伺いした時にも、「妄想が多いのですが、まさに事業を妄想して「こういうのあったらいいな」というものを探し続けて、本当にできるものがあれば作っていく」というスタンスをしている、という話がありましたが、「夢の外へ」で言っていることと一致していると思いました。

「想い届けばいいな」

あともうひといき、お付き合いください。

さっきの「アーティスト活動の定義」の後に、さらに「ビジョン」を述べています。

いつか 遠い人や国の空
想い届けばいいな
いつか 今は居ないあなたを
目の前に現して

もう、歌詞のままなのですが。

妄想の世界で込めた「想い」「表現されたもの」によって届けばいいな、そして届いたあなたも僕の前に来てほしいな、という意味だと思います。


さらにこのフレーズで「だから表現することを忘れないで」と言っていると思います。

夢を外へ連れ出して
妄想その手で創れば
この世が光 映すだけ

イメージをアタマから「夢の」外に出す喜びについて

僕自身、「何かを表現する」こと自体は結構好きです。アウトプットできる手段はアーティストとは異なる(文章、スライド、発言、ツイート、写真、歌、スポーツ、Webデザインなど)のですが、それでも十分「表現」と言えます。


僕と表現、と考えたときに、シンプルに僕の「夢」「妄想」「思考」を外に出していくこと、そしてそれを通して喜びを生むこと僕のことを好きになってくれること(ファン的な意味で)、それが喜びです。だから休日とか関係なく、日々動いてられるのかもしれません。


「夢の外へ」。いや、「夢を外へ」。

そういうことなのかな、と思う休日の昼です。

全歌詞はこちら>>


最後にちょっとお知らせ。

僕が賛助会員という形で参加しているNPO法人コモンビートインスタアカウントで、ほかのメンバーと「私と〈表現〉」というテーマでおしゃべりした内容が投稿されます。ぜひ合わせてごらんくださいな。


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嶋田尚教(しまさん)
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