日曜日よりの使者を呼んだ【しまさんの読むラジオ】
だいぶ秋になってきたこの頃。
先日、笛吹市にある「笛吹みんなの広場」で、知り合いが開催している「ふえふきマルシェ」に遊びに行った時のこと。
歌を歌ってる人達がいました。晴れ渡る、まだ残暑の中の、空の下にある東屋で。
「まつわ〜 いつまでもまつわ〜 ほかのだれかにあなたがふられる日まで〜」
偶然にも知ってる曲が流れてきて、自然とテンポを取ってて、サビに入ったら歌ってました。(思えばこの曲自体好きなのかもしれません)
こんな人達がギターとカホンとを携えて歌ってました。
近づいて、彼らが演奏している前にある、インスタのアカウントの貼ってある板の前に行くと、「待ってましたよ、歌ってきましょ」と誘われました。
思えば、ミュージカルは1か月前。
歌うのが好きなことには変わりなかったので、誘われるままに、彼らの中に入ってました。
彼らの楽譜を見せてもらいながら
「歌える曲、ある?」
「スピッツないっすか?」
「ちょいムズいから他の曲の方が笑」
「ブルーハーツとか好きっすよ」
「日曜日よりの使者は?」
「良いっすね、日曜ですし」
「じゃあ用意するねちょい待ってね」
「せっかくだからライブ配信するわ」
「フリー素材なんでどうぞ笑」
と、トントン拍子にライブ配信までされてました。気がついたら全世界デビュー。笑
全世界デビュー曲は↑THE HIGH-LOWS↓の「日曜日よりの使者」になりました。笑
テキトーな、罪のない嘘
この曲を知ったのは、たぶんブルーハーツが中学3年くらいで好きになって、その次にザ・クロマニヨンズが好きになって、その次に↑THE HIGH-LOWS↓のベスト版を買ったあたりなので、高校1年頃だと思います。
この歌を聴いていると、とりあえず「歌いたくなる」仕掛けがあります。
歌詞として「Sha lalala Shalalala」と、「シャララ」だけでのれる部分があります。
ついつい、「シャラララ〜」と。
トントン拍子で決まったので、特段意図はなかったんですが、歌ってみてみると、こんなに明るくなれる曲なのかと、思ったのです。
この曲の中で、特に好きなフレーズが2つあります。
日々の中で、なんかやってられないなー、と思うことがあった時に、(まあ場合にもよるんですが)テキトーに茶化して、誰も傷つけない笑いで乗り越えてく、みたいな人でありたいなー。そう思うようになりました。
「誰ひとり傷つけない」笑いって結構難しくて、人のことを茶化さない代わりに自分を茶化して乗り切ろうとしちゃう所があるよなぁ、とも思いました。難しいよな。
でも、できたら、そういうことが言えて、心が軽くなったり、その場が和んだり、そういう人になりたいなぁ。
たとえばこの街が 僕を欲しがっても
もう1つはこのフレーズ。
色々な役割があって、ものによってはお願いというよりは断れない要求のようなものもある。それは地域活動とか、仕事とか、ボランティアとか。
おかげさまで、「こういうもの(こと)が欲しかった!ぜひやって!」と言われることもあります。
ただ一方で僕の人生もあります。やりたいことと合致していく作業を日々しているけど、そうならないものもしばしばあります。
だから、本当にやりたいこと(または本当はやりたくないこと)をちゃんと選んで、もし僕が選ばなかったものが、街や組織で求められて(欲しがられていること)であっても、自分の気持ちや決意に従って出ていこう、ということを説いているのように聞こえるのです。
「本質ややるべき(やりたい)ことだけに集中せよ」というエッセンシャル思考、という本が売れていましたが、遥か前からそのことに気づいてこう歌っていたことを知っていたのは偶然だったのかもしれません。
ついつい歌いたくなる曲調の中に、歌を作った甲本ヒロトさんの哲学が感じられます。
そんな「日曜日よりの使者」を歌っていると、気持ちが軽くなるのと、もっと楽しく生きることができる気がしてくる、不思議なパワーを持っています。なんででしょうね?
ちなみに、「日曜日よりの使者」は、ダウンタウンの松本人志さんのことを指していると言う逸話があります。詳しくはこちらの記事も読んでみてください。
僕自身、シャララで歌ってれば、そして笑っていられれば、なんとか生きれるような気がします。
「それくらいでいいじゃん」って。日々のお金とか仕事とかキャリアとか、そういう話じゃなくて、「楽しく生きてれば、ついでに歌っていられればそれでいいじゃん」って。
そんな、日曜日よりの使者に、気楽な気分で、なってみようかな。
▼全歌詞
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