嶋りょうたヒストリー➀幼少~中学卒業
こんにちは!川崎育ち、26歳!嶋りょうたです。
かなり久々の投稿になりますが、今回は嶋りょうたの生い立ちについて公式ホームページでは書ききれないことについてじっくり書いていこうと思います。本日はその第1弾!少しずつ書いていこうと思います!
そして「嶋りょうたてこういう人なんだ!」と興味持ってくれたら嬉しいですし、こんな人柄なんだなと知ってもらえたら幸いです!
まずはホームページにも載ってる簡単なプロフィールです。
嶋 凌汰(しま りょうた)
・幸区戸手本町二丁目在住
・生年月日:1995年(平成7年)2月25日(26歳)
・川崎市高津区出身
・血液型:O型
・趣味:サッカー観戦
・好きな食べ物:ラーメン、辛いもの
・幸消防団 第2分団所属
・宅地建物取引士
後々、この内容についても深掘っていけたらと思います。
改めて、嶋凌汰と申します!1995年の平成7年2月25日生まれです。
川崎市高津区の千年たちば保育園に入園しました。
保育園の初日のことは今でもよく覚えてます(笑)
かなり泣いて、保育園から脱走しようとして、止められてました。
最初のころはかなり大人しかったみたいですが、慣れてくるとちょっと調子に乗ってしまうみたいです。ちなみにこれは弟と撮った七五三の写真です。
卒園時のメッセージを改めて見てみると、保育士の先生方はよく見てくれてたんだなと思い、今更ながらほんとに感謝です。嬉しい言葉でいっぱいです。
そして川崎市橘小学校に入学。片道20分くらいかかり、山を越えて登下校してました。蛍で有名なふれあいの森が通学路でした。また、小学校低学年ぐらいのころに引っ越し、母と弟の3人で暮らすようになりました。
小学3年生から地元のサッカーチーム(GHU)に入ってサッカーに熱中。ポジションは最初はDF(ディフェンダー)でしたが、MF(ミッドフィールダー)もやり、いろいろやってました!
学校では親のお下がりの辞書を常に持っていて分からないことがあるとすぐ調べたりしてました。小学5年生のときの先生の言葉が今でも印象に残っています。進級間もない時に「ものごとには理由がある」という話をしてくれました。それから様々なことについて、まずは理由を考えてみようと思うようになりました。身の回りの社会のことなどに興味を持つきっかけを与えてくれた言葉だと思います。あとはとにかくテレビが好きで、お笑い番組をよく見てました。「エンタの神様」や「はねとび」「リンカーン」が好きでした。自分で録画してはよくおうちで見てました。子どもながらに人を笑かすのて良いなと思って、お笑い芸人になりたかった時もありました。今でもお笑いは大好きです。
そのまま地元の川崎市立橘中学校に進学。サッカー部に入部しました。今もあるかと思いますが、1年生の最初の市大会では準優勝でした。ポジションはいろんなところをやってましたが、DMF(ディフェンシブミッドフィールダー)が多かったです。練習もかなりハードでしたが、朝練も欠かさずサッカーに打ち込みました。川崎フロンターレの試合も友達とよく見に行ってました。当時の中学生のシーズンチケットは破格で、自転車でよく行ってました。
勉強は数学が得意で、よく人に聞かれては教えたり。漢字も好きで中学2年生で漢検2級を取りました。とにかく知らないことを知りたい!という思いが強かったと思います。また、人生は一度切りだと思うようになり、いろんなことに挑戦するようになりました。クラスの学級委員にも挑戦しました。横浜平沼高校を志望校に選んだのも、「もっと外の世界を見てみたい」、先輩にも、同じ学年にも橘中学校から進学する人がいないことから、「自分のことを知ってる人がいないところに行って、自分は改めてどういう人なのか知りたい」「1から人間関係作りをしたい」と思って、新しい環境に挑戦しました。無事、受験もうまくいき、横浜平沼高校に進学することができました。
そんな新しい環境に身を置いた高校生活については、また次回書いていこうと思います!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。