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20210224 川崎雑感想

↑ヘッダ画像のアスペクト比が潰れて太るの、なんとかなりませんか?

覚え書きのメモ。難読

川崎

川崎にいきました。風は冷えるけどよく晴れていて、ひなたが暖かい。二郎ラーメンを食べようとしたけど休業日。

駅前で適当に食べる。

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雑な店で雑に昼から飲んでる地元民最高すぎ。その空気にあてられて頼んだレモンサワー、まあ激薄だったですが…

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アーケードをゆるゆる暇そうに歩く人々、一本脇道にはいったときの猥雑なエネルギ、高い路上飲酒率。これ北九州の空気と同じです。工業地帯のエネルギを、整備した銀天街に沿って川のように統御しきろうとするも、当然そんなことはできなくって、決壊してあふれて町全体がうごめいてるような感じ。北九州は人口が急減し始めて日がたっているけれども、それでも川崎に近いエネルギッシュな感じがのこっているんだよな。

そういえば川崎でも北の方の溝ノ口だと、また黒崎のような雰囲気があるのが面白い。

声優に恋する者たち4

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このパーティにいきました。1月ごろからハッシュタグ#声に恋公募でとても丁寧なMixがどんどん提出されてて、ああこういった姿勢で立ち向かわれるようなパーティなんだ、と知ってからの、念願の来訪。初の月明かり夢てらす。

良かったねえ。公募でよく聞いていたような、ボーカルが際立ってじわじわと聴衆を仕上げていくようなものや、また違ってアンセムのエネルギー説得力に満ち満ちたものもあり、声優楽曲の豊穣さを味わい続けてあっというま6時間が過ぎていました。誇張なく。

最近、どういうことをパーティで吸収したいかという良く言えば野望、悪く言えば助平心を抱いて現場に向かうようになっています。なってしまっています。
助平心①、機材の扱い方については、手元がDJブースの壁で隠れてしまっていて良くみえなかったんだけど、それでもMixのやり方については学ぶところが多かった。ふわふわゆれつつ、大量につなぎ方のアイデアをメモさせてもらった。助平心②、そういうアイデアを吸収したい気持ちに加えて、DJさんたちの個々の音楽的系譜、いまは声優楽曲というところに収斂した音楽的経路を知っていきたい気持ちも最近昂進してきていて、そのようなお話も実際に対面して伺えたりしたのがとてもよかった。DaftPunk解散の方で、ツイッターのタイムラインを繰っていても、ああこのひともDaftPunkの道から来たんだ、…と思うことしきりな日だったのも手伝って。さまざまな道を通ってきて、しかし職業声優が歌っているというその1条件で奇しくも交わった、そういうひとびとの集まりだなあと思う。
あわよくば自分の愛好して来たさまざまな音楽ジャンルたちも、ひとつのマップに位置づけてみたい。その作業の記録としてのMixをひとつ録れるようになりたい気持ちもある。

こじつけ読書メモ

電車移動では本を読むと決めています、いえそうでもしないと読書に時間を割かない性質なので。
川崎の行き帰りの東海道線で読んでいた本は

これ。アイドルという、今のサブカルを語るのみならず、今の音楽シーンを赤たるうえで避けられない「ジャンル」について、そもそもジャンルとしてまとまっているのか、従来どのようなジャンルとみなされてきたのか、というところから検討している。見通しの良い本。え〜これ種本にして輪読ゼミ開きませんか…?また読み終わったら読書メモ改めて書きます。

Juke_Voxのときからだらだら考えていること、声優楽曲で(声質や歌い方というレベルを超えて)声優の個性が聞き取られるのはなんでだろうということ。ソングライターではない声優による楽曲が、しかしどういうわけか自己表現として読める不思議さは今回も感じた。この不思議さはより広くアイドル楽曲、あと展開して一部VTuber楽曲にも共通しているように思うから、この本はなんとか精読して自分の言葉でかみ砕けるようになりたい。

田所あずささんのアルバムの音楽性の変遷とか。本人がロックに傾倒した時期に出された、彼女が志向したところの3rdアルバム、しかし表現としてはぜんぜん適切なものではなく、名盤にはならなかった、という評を聞いたけど、このあたり声優の発揮したい個性と聴衆に評価される美点が、外部から提供された楽曲の上で衝突したような例だと思うと面白いかもしれない。

さらに。本とは直接関係ないんだけど、なぜ声優楽曲がじぶんにとって好ましいのか(あるいはいま好ましく聞こえるのか)ということを、ただアンセムが流れた時に条件反射的に上がるというような楽しみ方でもなく(いやそれでもいいんだけど)、冷徹に検討しておきたいなと考えています。

プロフェッショナルに安定した技量を持ち合わせた演者たちが・決まった楽譜を一斉に演奏して・そういう自由度の低さの中でも指揮者や楽隊やソリストの個性があふれてきこえる、そういうオーケストラの在り方と、しばしば歌手個人以外のところであつらえられた歌詞と旋律に乗り・作曲家と作詞家の表現を職人的な精度で代弁しつつ・しかし歌手の自己表現をどういうわけかはっきりと読み取らせる声優楽曲は似ていて、だから好ましく聞こえているのかもしれん、というのが現時点での自己分析です。

そんでもって声優楽曲Mixとなると、それぞれ高水準で統合されている声優楽曲たちを、DJの解釈にしたがって組み合わせてBPMを操作してまとめ上げる、その過程でDJの個性が不思議に立ち上がる、このこともオーケストラに似ているなと思う。

曲をつなぐこと、ただbpmが合うから繋いだんかな、と思われたらあまり嬉しくないだろう。なんで次の曲をそれに決めたのか説得力を持たせたい、たとえばアニメ内容で文脈もたせたり歌手だったりプロデューサでつなげたり、音楽性を丁寧に揃えたり、という作業が、だから必要になるんかな、とぼんやり思う。

(そういえば、そういう文脈をからから笑い飛ばしてしまうようなイベントもありました……レムりん萌え萌えアニクラ。あの面白さは、アニソンやアニリミ文脈の縛りを軽々と解体する痛快さにもよっているだろうし、繋ぎごとに生まれる意外な調和や不調和、裏切りの新鮮な楽しさにもよっているかもしれません)


月夢で聴くこの音、あまりにも粒が細かくて、泣きかけた…




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