20210530 コミュニケート
架電
今日はこれ。
き…緊張する!電波のいいところを探しがてら、緊張をほぐしがてら、だいぶん徘徊する。
春の花が残って、あじさいが咲き始めている、あからさまに梅雨時の街路なのに、空が夏のように高い。かといって暑苦しくはなくて、風の温度は適度な五月のそれである。快適。
名古屋のこのエリア。林や公園の緑のスジ、あるいは庭木の濃い住宅地の家並みといったグリーンベルト的なものが縦横に張り巡らされていて、多少の回り道を厭わなければ、木陰だけをたどって各所に歩いて行けるのが美点です。
ふらふら徘徊して、ちょっと山登りのような急角度の住宅地をみてまわっているうちにふと携帯をみると、もう電話の時間まで間がない。しかも圏外。慌てて山をくだる。電話が通じなかったら歩いてきた甲斐がないんだ!
城山八幡宮、ほろびた織田信秀の城跡、この神社の鳥居前で入電した。
・・・よかったね~。前回もよかった。今回もよかった。内容としてとっぴなことを話したわけではない。けれど落ち着く。
「電話回線」というのがまたいい。
電話というものが、遅延のすくない丈夫な回線であることを、いつもYoutube配信のチャット・反応の10秒オーダーのラグのなかで接しているような相手にたいして用いることを通して、今更ながらに気づく。
労の話になるんですが、「先ほど架電いただいた件について~」といったように使われる、「架電」という言い回しがすきなんですよね。電波法的な意味での空中線が、相手とわたしのあいだにひらりと通った、糸電話のようなイメージをひきおこすのがいい。
(いや電話連絡そのもの自体はきらいで、メールで伝わることを同期通信で伝えてくるのはやめてほしいんですけど)
(同期通信、非同期通信ということについて、この講義で触れられていましたね。見返してないけどとりあえずメモとしてぺたり貼っておく。)
29分ごろ、全二重・半二重通信などについて。
バーチャル推し電WAは二回目で、で一回目についてはかなり熱中して感想書いてたんですが、まだ下書きのままでした。コンテンツとの距離感について。ものにしよう。
電話を終える。もうすこし徘徊し、本山駅周辺に至る。頑固そうな喫茶店や、ラインナップが粒ぞろいの古書店をみつけた。古書店の本棚からその地域の性質がわかるのがいい。大学教養クラスの微積の本や、あるいは社会学の入門書などが充実している。学生の街なのかもしれん。
買ったのはこのへん。
メモが!
1対1
その足で予約していた美容室にいく。地元の先輩がAK-69だという美容師のお兄さん。履いてきた靴の話題から、服の話、街の話、音楽の話などついついしゃべりあっているうちに、ぼさぼさの髪をさっぱり復活させられていた。なんという手際。
すすめられた。欲しい。
姿を徹底して観られる美容室だからこそ成り立つ、外見メインの会話とか。あるいは、逆に外見に全く触れないで本の話ばっかりするような変な会話とか。どちらも好きです。
まずもって動けない椅子にくくりつけられ、鏡で自分の顔面を確認しつつ、かつ鏡越しで左右逆転した相手と会話をする、そういうへんてこな場所だからおもしろいというのはあるかもしれない。
さっぱりした。本山駅から覚王山駅まで1駅だけ歩く。冷たいエタノール飲料を飲んですみません。
名古屋のいいところ、道が大きくて交通量も多いけども、街路樹が濃いからそれほど排気の熱気を感じずに済むところ。いまのところは。
東山線に乗って(お兄さん曰く、「東山線の沿線の街はどれも間違いない」とのこと)、栄駅でおりて、お目当てのここです。
トーク
良かったです。暗がりの中、アニメや音楽のマニアックな話に浸り続けられる。名に聞く薬膳Bar、ずっと来たかったんですよ。
クラブではしばしば自然にめばえている、音を聴くことと音について語ることのミクスチャー、これをぐっと前面に押し出しているイベントでした。
かといって両者をきりわけているわけではもちろんなくて、トーク中に手元でささっと関連楽曲をDJしたり、あるいはDJパートでも延長戦のようなかたちで語りがつづいていたり、聴きと語りとが互いに滲んでいるような雰囲気がこのましい。
加えて。このへんの話でも触れていた、音楽の場での交流
名古屋にきてからいったん人間関係がリセットされまして、久しぶりに誰も知らん暗がりとしてのクラブを体験できていたこの1か月強でした。これはこれで良くて、つまり音楽に没入するという意味では好適だったんだけど、今回のパーティでいただいた、あたたかい声かけは本当にありがたかった。
話を聞きたいと思っていたひとびととどんどん引きあわせてくれるこの空気について、あるひとりが「外から転勤で越してくるような、そういう入れかわりがもともと多い土地柄だから」と説明されていたのはなるほどという感じ。
総括
ことばをかわすことはやはり楽しい。表情や間合いとか、流れてる音楽が醸し出す空気とか、そういうもの全部が媒介物になって情報が伝達されるから、言葉はあくまでそのうちのひと経路に過ぎない。
この春始まった労働で、対面がなかなかできないためにメールベースの連絡になっている、だからメール送信・受信の一往復で齟齬が出ないように言葉を選んで、謙遜して、適切なソースを添付して、CCに誰をいれて・・・とやるような、そのたぐいのコミュニケーションとは、当然ながらかなり異質だな。
暗がりで、大きな音にじゃまされて、聞き取れなかったりして、そういうぼやけた会話のなかで、わたしの地元のことがらや東京のフォロワーさんたちの情報が話題に上がる。ここでたわいないアーカイブのない会話をすることで、なんか東京とか地元とかに向かって、ひらり線がつながるような気がする。