20210205 爆語りについて?

洗濯しながらアニメ.溜まってた今季をまずは追いついていきます.

怪病医ラムネ#3.過不足がない.気持ちいい.ただの勧善懲悪でもなくて,悪でも救わずにいられない,ラムネの医としての姿勢にフォーカスが寄ったのもよかった.

無職転生#3.出来がいい.嫌味なくテクニカルなことをしてくれる.パウロがちゃんと「憎めない」キャラに仕上がってるの相当なテクニックですよ.それをいうと主人公の造形のバランス感覚もすごい.ただの嫌味な天才少年になってもおかしくないのに,これは原作の力も非常にあるんだけど,でも原作読んだ数年前は全然わたしの目が肥えてなかったんだな…

言葉が足りないとサルになる.神保町ブックフェスタで買ってたやつ.

コミュニケーションに言葉が尽くされていないということと,言葉を尽くすための語彙が足りていないという二点が主眼だった.
まず語彙の貧困という話題,確かに個人的悩みでは確かにあるんだけども,たとえば同世代やもっと若いひとびとの書く楽曲の歌詞を思い浮かべるだけでも肯定できない気分になる.あとみんなすごい文字数でアニメ感想語りしてらっしゃるのをいつも目にしているし.
会話コミュニケーションが言葉足らずだという話は確かにその通り.ただ,たしかに対面で発する文字は減ったけど,その分,文脈の空気感で伝達する情報量や,心中で抱く表現は膨大になっている気がするんだよな.筆者の見えないところで,聞き取れないかたちで言葉を使いまくっているんだ,と,そういう風に自己弁護したい.

それはそれとして.

この世の中を生きる人間が,自分だけの内面世界を無分別に侵されることなく,自由を享受し,それでいて孤立すること無く粒立ちのよい連帯をして,(…)よたよたしつつも続いていくためには絶対に必要なことがあります.
それは,「いくらなんでもひどすぎる」ことが起こったときには,あのまっとうな感覚に基づいて「そりゃいくらなんでもひどすぎやしないか」と,複数の人間が自分の利害を超えて正しい文句をつけてくれるはずだという信頼感が最低限共有されていることです.(…)個体としての他者を完全情報の下で理解することも不可能ですし,世界史にただの一度しか登場しない個人はその意味では本当に孤独で一人です.
(…)〔そうであるけれども,先述の〕他者への最低限の信頼をあるものとして,それだけを根拠に幻想のように存在している者を私たちは「社会 (society, community)」と呼びます.

コミュニケーションしなくても,自分の心さえ豊かであればそれでよくないか,わざわざ言語化して表出しないでいいんじゃないか,と考えつつもあったけど,こういう論はやはり説得力がある.
この本基本的にエッセー体というか,なんというか書名からしてカタカナのニッポンって書いてあることから推察されるような文体(つ,伝われ…)なんだけど,こういう一流の文章を適度に差し込んでくれるから納得してしまう.途中数十ページくらい謎のニッポンOL論が展開されたりして辟易したけど……読み飛ばせば良い本です.

結局孤独だから,孤独を保ちつつ融和しきらないでも,コミュニケーションを取り続けなくてはならない.そのための道具としての語彙も,ずっと使い続けて錆びつきを防がないといけない.夏の出口先生の京大講義も共通したテーマや問題意識を持っていた気がする.もう一回見返すかー…

書き物の安定的出力を得たいところだし,アニメ見ながらNoteに感想メモ書きしていくのも手ですね.

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