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「ぼくら」の本当の意味

第5章 新時代のドレスコーズ

「ぼくら」の本当の意味

 

 志磨は自身でも認めているとおり、歌詞やコラムなどにおいて「ぼくら」という人称をよく使う。「とてもよく似たぼくら」というふうに、志磨は自分と自分のファンが似ているということを自覚しているが、この「ぼくら」こそが、志磨とファンの関係性を意味しているのだ。

 では、「ぼくら」とは、どのようなつながりであるのか。
 それは、『平凡』でさんざん語られた “meme”である。

“meme” とは、≪親から子ではなく、他人から他人につながる遺伝子。いわば、文化の遺伝子。≫(ドレスコーズマガジン2016年12月1日配信22号特集「新作『タイトル未定』未完成インタビュー。」)である。

 

 別々の場所で生まれ育った「ぼくら」が、志磨が書いた音楽によって出会うことができたのは、「ぼくら」はともに近い “meme” の遺伝子情報を持っているからである。それがよく志磨が口にする、「ぼくら」が似ている理由である。



離ればなれの ぼくらは
誰の力も借りずに ほら、ちゃんと
出会えたじゃないか 間違ってなかった
歴史は 全て間違いじゃなかった    

“愛のテーマ” より



 「ぼくら」はとても似ているから、志磨が過去に誰かのために書いた曲でさえ、すべて「ぼくら」の曲として聴くことができる。
 そして、「もっと志磨を理解したい。」「志磨になりたい。」と思いながら、志磨の作品についての理解を深めることは、おのずと「ぼくら」の自己分析となっているのだ。



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