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平凡さんは今

第4章 文化人類学としてのドレスコーズ


平凡さんは今

 

 『平凡』が発表されて、2年が経った。≪エゴのテンプレート≫問題はますます悪化し、いまだに人々の目的は、「個性」を「発信」することである。
 SNSに写真を投稿するために、カフェに出かける。買い物をする。料理を作る。街へ出る。それらの行動の目的は、「発信」して “いいね” やアクセス数という、「自分の存在が認められている」というわかりやすい評価を得るためである。
 また、自分の意見や、賛否などの言葉での「発信」も、現代の社会では「個性」とされている。自分とまったく関係のない場所で起こる出来事や、著名人の不倫や不祥事などに対し、まるで身近な人物へ意見するような発言や賛否を、「個性」として「発信」する。
 そして今や、音楽だけでなく、アイドルのSNSにも社会的な発言がよく見られるようになった。彼らの「発信」に影響を受けた若者たちもまた、自らの考えを「発信」し、自らの行動で世界を変えようとしている。ネット上の「発信」だけでなく、デモもそうである。彼らは、それが「社会参加」だと思っている。若者が社会に関心を持つということはいい傾向ではあるが、社会情勢や政治について正確な情報を収集し、深く思考した結果の「発信」なのかどうかは少し疑問である。もしかするとそれは、「社会参加」をしているという主人公(=自分)に興味があるのかもしれない。

 彼らの情報収集の場は主にネット上であり、物事を深く思考するという行為はあまり見られない。インターネットの進化により、ネット上での情報収集は非常に便利になったが、その情報には信ぴょう性が少なく、 “愛さなくなるまでは愛してる” で ≪「これが好きな人はこんなのも好き」とか≫ と歌われているように、目的である情報収集も水平方向にスライドしてしまい、本来調べたい内容からずれてしまう。
 SNSも議論には不向きな場合が多く、水平方向の浅い議論にしか展開しない。誰かが議論を掘り下げようした瞬間、「言った言わない」だの、「言い方が悪い」だの、「敬意がない」だの、「個性」が邪魔して、そもそもの論点からずれた言い争いにより炎上し、議論が強制終了する場面は、毎日SNS上のどこかで見られる。

 『平凡』以後、人々の行動から思考が失われつつある世界で、今後も科学や文化は進歩し得るのだろうか。全人類が均質化した行動をとり、これ以上進化しないよう、この世界は何者かに操作されているようにも思える。

 とはいえ、誰でもすぐできる行動を、わたしにしかできない「個性」として発信し、それで満たされるのであれば、人間の欲望はうすくなったとも言える。歴史上、今が最も平和で幸せな世の中であり、誰も悩まなくていい世界は、それほど遠くない未来に訪れるかもしれない。
 

 文化的遺産や “meme” を大切に思いながら深く思考し、悩み事の多い平凡さんにとっては、『平凡』以後、さらに生きにくい社会となってしまい、さぞかし悩みはもっと増えていることだろう。平凡さんは今もどこかでノーマリストの姿を装い、この社会に身をひそめているに違いない。あのグレーのスーツは、賛成も反対もしない、白黒はっきりつけないという意味であり、≪賛成はしかねる 空想と現実に プラカードをかかげもしない≫ という隠れた意思表示であるということに、均質化された人々が気付くことはないだろう。



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