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ドレスコーズがひとりになった理由

第5章 新時代のドレスコーズ


ドレスコーズがひとりになった理由

 

 2014年9月、『Hippies E.P.』の発表をもって、オリジナル・ドレスコーズの志磨以外のメンバー全員が脱退し、ドレスコーズは志磨ひとりになった。それ以来、志磨は自分以外のメンバーを固定していない。おそらく今後もドレスコーズのバンドメンバーが固定されることはないだろう。
 
 では、志磨はなぜ、バンドメンバーを固定せず、今もひとりのままなのだろうか。
 それは、「ぼくら」を待っていたからである。

 志磨はひとりになって以降、『ドレスコーズマガジン』という、ライブ会場以外でもファンとやりとりができる「空間」を設け、志磨が存在する「部屋」に「ぼくら」を迎え入れはじめた。

 では、志磨がひとりになったのは、本当にオリジナル・ドレスコーズの活動終了からなのだろうか。
 毛皮のマリーズ時代から、志磨の楽曲には、ひとりぼっちの男の曲が多く、志磨自身集団行動が苦手そうなイメージをもってはいる。

 オリジナル・ドレスコーズが『バンドデシネ』を完成させた頃、バンドのオフィシャルサイトにはメンバー全員によるコラムのページがありながら、突如志磨個人のオフィシャルブログ『日本語のドレスコード』が開設された。
 そのブログのはじめての投稿「まえがき。」(2013年9月24日)には、ドレスコーズが生まれてから1年ほどの季節について、≪ひとりぼっちの「かけおち」≫ と記されていた。
 あの4人のドレスコーズの蜜月であったあの季節がなぜ、≪ひとりぼっちの「かけおち」≫ だったのだろうか。当時、「ぼくら」宛てに更新される手紙のようなブログを読んでは、不思議に思うこともしばしばあった。

 また、このブログには「ぼくら」からも志磨への返信ができるよう、メールフォームもつけられていて、この頃から志磨は「ぼくら」との文通(やりとり)を望んでいたようにも考えられる。

 もしかすると志磨はずっとひとりぼっちで、「ぼくら」を見つけるために音楽を続けてきたのかもしれない。


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