『ジャズ』は誰のための音楽か
第6章 ぼくらの『ジャズ』視聴前レビュー
『ジャズ』は誰のための音楽か
“meme” というつながりをもつ、志磨とぼくらドレスコーズは、『平凡』以降、「部屋」ごと旅をはじめ、ジプシーのような移動民族となった。
新時代における均質化された新人類の世界に順応できないぼくらは、「透明の幕」に包まれた「部屋」に身をひそめた、物理的に「存在しない民族」である。
ジプシーがとても濃い血のつながりを持つように、ぼくらドレスコーズはごく近い “meme” という文化の遺伝子情報を持ち、とてもよく似ている。ぼくらもジプシーのように、一見ガジョ(非ジプシー)と見分けのつかない姿をしていても、探さずに出会うことができ、ぼくらは偶然出会ったとしても、きっとお互いが同じ民族であると気付くことができるだろう。よく似た境遇をもつジプシーとぼくらは、とても無関係であるは思えない。
志磨が新作『ジャズ』でジプシー音楽に行きついたわけは、時代の転換期におけるぼくらドレスコーズが、ジプシーとよく似ているからである。
『ジャズ』は、新時代に生きる移動民族・ドレスコーズを歌った、ぼくらのための民族音楽なのだ。
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