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備忘録…母との最期の時間・自分の幸せ

ゴールデンウィーク後半になって母の病院から電話があった。
「今日になって食事を摂らなくなり、お茶をふた口しか飲んでいません。コロナ発生による病棟閉鎖の解除は明日からですが、面会にいらしても大丈夫
ですよ」と。

急いで病院にかけつけた。
病棟閉鎖で10日くらい会えなかった間に、母はまた痩せていた。
閉眼したままで、何となく顔の相も変わっていた。
甘いとろみの紅茶や、持参した栄養補助ゼリーを口に運んでも舌が動かず口内にたまってしまう。
「頑張って」とは言えなかった。
手をさすったり、話しかけたり、小さい声で歌を歌ったりして1時間近くを過ごした(本当は30分の制限なのだが、恐らく大目に見てもらえた)。
途中かすかに目を開け、何かを言おうとしていた。
「な~に?」と耳を近づけたけれど声は出なかった。
一度だけ「ごきゅん」と音を立てて、わずかにお茶を飲み込んでくれた。

帰り際に看護師さんが様子を見に来てくれた。
様子を伝えると
「今日むくんでいるところをさすってたくさん話しかけたんですけど、反応してくれなくて…やっぱりご家族ってすごいですね~」
と言ってくれた。
そんな風にケアしてもらえているんだ…と思ったらうれしくなった。
「ひ孫が生まれるので見せたいんですよね」
と伝えると
「〇〇さ~ん!ひ孫さん楽しみですね~!会いたいですね~!」
と母に笑顔で話しかけてくれた。
「何か変わったことがあったら夜中でも朝方でもよいのでご連絡ください」
とお願いをして自宅に戻った。

日付が変わる少し前夜になってもドキドキして落ち着かず、服を着たままベッドに横になった。
横になったとたん携帯が鳴った。
病院からだった。
「意識が混濁して血圧も落ちてます。まだ早いかもしれないけれど、来られますか?」
と。
「すぐに行きます」
と即答したものの、動揺しまくっていて運転の自信がない。
娘は起きていたけれどお婿さんは熟睡していて声をかけたけれど起きる気配がない。
タクシーを呼んでも時間がかかるかも、と思い相方に電話をしてみたらすぐに来てくれた。
病院に着いて守衛さんと病棟に行くと、夜中なので母の病室まで看護師さんがそーっと案内してくれた。

呼吸器をつけて母は目つぶっていた。
苦しくはなさそうだったけれど、胸が上下していてまだ息をしていた。
何を話したのかよく覚えていないけれど、
「ありがとう」「大丈夫」「ごめんね」をたくさん伝える話をしたと思う。
合間で安心するように「子守歌」と「お母さん」の歌を小さな声で歌った。

母と私と最後の二人きりの時間だった。
とても濃い時間だったと思う。
反応はなかったけれど、全く苦しそうではなかった。

しばらくして呼吸が止まったのがわかった。

気づいた相方が病室を出て行った。
待機をする間は車で待たなければいけないと言われていた。
肌寒かったので暖房をかけていられるよう、たまたま会社で使っている軽トラで迎えに来てくれていた相方はエンジン音が静かな自家用車と差し替えに行ってくれたのだ。

時計を見たら病室に到着してから10分ほどしかたっていなかった。

相方が出て行ってからしばらくして看護師さんが病室に来た。
モニタの表示で呼吸が止まったことが分かったらしい。
しばらくして当直の先生が来て一緒に確認をした。

結局ロビーで待機をした。
しばらくして相方が戻ってきてくれた。
その間葬儀屋さんに連絡して迎えに来てもらう段取りをした。

母が綺麗にしてもらって病室から来た。
霊安室で母と相方とお迎えの車が来るのを待った。
1時間くらい待ったけれど、相方がいてくれたので助かった。
一人だったら不安で心細くてたまらなかったと思う。

お迎えを待ちながら、「今年の母の日はしてあげられることはあるのだろうか…」と思っていたのに「間に合わなかったな~、もう少しだったのに…」とぼんやり思っていた。

車が来て見送りに夜勤の看護師さんと守衛さんが来てくれた。
看護師さんが少し元気だった頃の母の様子を話してくれて涙ぐんでくれた。
一緒に泣いてくれる人がいるということがとても心強かった。

思い起こせば父が最初に危篤になって救急でICUに入った時も一人だった。
ICUで父に泣きながらいろいろ話しかけて泣きながら廊下に出たら相方が長椅子に座っていた。
事情を連絡したけれど来てくれるとは思っていなかったから驚いた。

本当に人に助けられている。
病院の面会も看護師さんたちの笑顔と明るい声かけに支えられた。
入院の精算で病院に行ったときに看護師さんにお礼のあいさつをした。
その帰りにグループホームにも寄って報告してお礼をした。
グループホームで母の担当をしてくれていたスタッフさんが対応してくれて涙ぐんでくれた。
病院でもグループホームでも温かい人たちに支えられた。

母がいなくなったのはやっぱり寂しいし、アラ還にもなっているのに心細いと思う。
マイナスに気持ちが引っ張られそうになるけれど、そんなときに「感謝」の気持ちを持てることは幸せなことだと思う。

最後の母への飲食の介助(ほとんど食べられなかったけど)、最後の二人だけの時間…これがあるから何とか毎日落ち着いて過ごせている。
あの時
「二人だけでさよならしようか」
と、母が私を呼んだように思う。
きっと心の中でいたずらっぽく肩をすくめて舌を出して笑っていたはず。
そんなお茶目な母だったから。

母の面会に行き続けるのがしんどい時もあったし、心配で泣けてくるような夜がたくさんあって…その時に少しずつ覚悟ができていたのかもしれない。
でも、もしかしたらまだ実感がわいていないのかもしれない。
それはちょっと怖い(笑)

まだ時々ずぶずぶっと足元が沈んでいく気持ちになったりするけれど、最後の日の母との時間、その時支えてくれた人たち…それまで支えてくれた人たち…思い出すとほっとする気持ちになる。

正直言えば、活力が湧いてこないことも感じている。
たまに
「おかあさーん」とか「おとうさーん」とか声に出して言ってみる。
ほんの少しだけ満足するけれど、なぜもう会えないのかなぁ、と不思議にもなる。

父、母、と続き、順番で言えば、次は兄、私なんだな~、と思う。
そのときのことを考えると、会えなくなる人、できなくなること、見ることができなくなる景色、聞くことができなくなる音…そんなことを考えて何とも言えない気持ちになる。けれど「手放したくないそういうものたち」がある、ということは幸せなことなのだろうと思う。
幸せと不安は背中合わせなのだろう、とも思う。

自分が逝ったときに子供が私を思って泣いてめそめそして暮らしたら悲しい。
私の思い出話はしてほしいけど(笑)、早く日常に戻ってほしい。
出来る限り笑顔で幸せな気持ちで穏やかな日常を過ごしてほしい。

自分は子供たちにそうあってほしいので、私もそうありたいと思う。
私の幸せが親孝行なんだろう、と思う。

なので…いろいろなことがある毎日だけど、そんな毎日を少しだけ頑張ってみるかな。



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