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飯がまずくなる

亡くなった父は、悪い意味でめちゃくちゃ昭和の男だった。
なので、夕飯のおかずは1品も2品も私たちより多かったし、おかずを肴にビールか焼酎を飲み、おかずが気に入らなければ文句を言い、最後はお米か麺類でしめていた。
食べることを何よりも楽しみにしていて、糖尿病になるくらい好き勝手に食べていた。
自分の家を定食屋か料理屋と勘違いしていて、言えば何でも出てくると思っていた。
料理が得意だったとは言え母は内心かなり腹立たしかったと思う。
それでも文句を言って揉めるよりは、何とかして作ってしまった方が楽だったようで、父のわがままをきいていた。

そんな父だったから、食事をしている父の周りで騒いだり、散らかしたりすると
「飯がまずくなる!」
とよく怒られた。
父がいない食卓は会話も笑い声もあったけれど、父がいる食卓は重苦しい雰囲気が漂っていた。

そんな重苦しい食卓はまっぴらだけれど、父に似て食べることが大好きだ。
自分なりの感覚があって、それで食事がおいしくなったりまずくなったりするところも似ているかもしれない。

一緒に食事をして
「飯がまずくなる」
と思ってしまう人がいる。

例えば、出てきた料理を
「おいしくない」と
箸やフォークでつついていじった挙句残す人。

普通の量の食事を
「わ~っ!こんなに食べられない!」
と騒ぐ人。

(うちの子供が小学生の時にそうだったけれど)大食いや辛い物の限界を勝手に目指す人。
(そんなだからうちの息子は病気になったんだと思う…)。

例えば鯛や鯵の活け造りが来た時に
「わ~、かわいそう…」
と悲しそうに目を伏せる人。
(でも、ちゃんと食べる)

豚足やミミガーの話になったときに
「そんなの食べるなんて…信じられない…」と驚いて見せたり、
肉牛がと殺場に連れていかれるときの話をわざわざして
「わかるんだって~…牛だってわかるんだよ~、かわいそうに」
と言っておきながらカルビを食べる人。

…個人の感覚だけれど、「おいしい」と思って食べたいので、そういう人とはできるだけ一緒に食事をしないことにしている。
それでも、わかっていても一緒に食事をしなければいけない場面もある。

昨日はまさしくそうだった。
豆乳カレースープうどんを頼んだ私にその人は言った。
「私は豆乳って飲めないの…まぁ、その人好き好きだからいいんだけど」
と。

(え?だから?)

カレーの匂いだめだった?
いやいや、この前一緒に食べたよね。
豆乳ってなんか周囲の人に迷惑かけるっけ?
私が食べるメニュー、相談しないといけなかった?

一瞬、様々な「?」が頭をめぐった。

運ばれてきた料理を見て、更にその人は諦めたように言った。
「まぁ、好き好きだから…」

おぉ…!!

久しぶりに
「飯がまずくなった」

その人の言葉のせいなのか、たいしたことのない言葉にいらっとした自分のせいなのか…。

そういう人に限って、店を選ぶときに何が食べたいかを訊くと、
「私は何でもいいの。決めて。本当に私は何でもいいから」
と言う。

一日たったのに、やっぱり
「おいしく食べられなかったな~」
と悔しい。

こういう食べ物の恨みもあるってことか。
やっぱり、一緒に食事をする人はある程度選んだ方がいい。


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