スタディ通信 23年6月号
梅雨でじめじめしていて、湿気で体調も悪いです。
なんだかこの季節は苦手ね。しかし夏も苦手ね。
スタディのふりかえり
先日は『宗教的経験の諸相』の「聖徳の価値」を5月に引き続いて扱いました。
シラバスに書いているので細かくは触れませんが、ジェイムズのプラグマティズムを貫く姿勢はさすがです。しかし、ジェイムズは聖徳(Saintliness)の価値を、この社会における現金的意味での「有用性」のみで計りません。そこにはおおらかで、そしてスケールの大きな視座がありました。
そんなおおらかさはAAにとっても大切なものなはずなのですが、なんか最近はそういった風が吹き抜けるようなおおらかさをAAで感じる機会が少なくなりました。
それは僕が歳でもとったのか、はたまた自分の周囲の環境が変化したのか、、、おそらくその両方でしょう。
これはビル.Wが好きだったという新約聖書の一節です。
「わたしの父の家には住む所がたくさんある」というような、おおらかな多元性をビル.Wは愛したのでしょう。同時にまたAAも、オックスフォードグループの絶対性から離れ、ビル.Wの影響下で多元性を大事にする集団に育ちました。
まぁしかし、最近は「父の家には決められた人しか住む所がない」ような厳格さをよく感じます。それは道徳的に生き、哲学や思想に心の安らぎを求めてもどうにもならなかったアル中には到達不可能な高い理想を求めるような厳格さです。
そんな厳格さには「あんたらは人にルールを押し付けるが、そのルールを守るために手を貸す気持ちはこれっぽちもないんでしょうなぁ」と言いたくなりますね(これは皮肉)。
さてさて、『諸相』スタディもあと5ヶ月ほどで3周年を迎えますが、私たちはビル.Wの愛した多元性を大事にしていきたいと思っています。
その中でのみ、かつても今もクズのままである私たちは安らぐことができるでしょう。
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