スタディ通信 24年5月号
スタディ・ミーティングが終わってはや2週間が経ちました。なんかバタバタしてましたね。
いやー、やることが多くて。ミーティングに週に何度も出てたときはヒマでよかったんですが、いつまでもそんな状態にいることがAAの回復ではないので。
え、そうだよね?
スタディのふりかえり
さて、今回は「科学と宗教」というテーマを扱いました。シラバスではセッション14になります。
このテーマはジェイムズ哲学の主要テーマの一つです。
ダーウィンの衝撃を経た19世紀、20世紀は科学と宗教が対立関係に入る時代でした。この点の詳しい考察は、下記記事参照のこと。
異なる真理観により対立する二つのイデオロギーを調停し協働させること、それがジェイムズのプロジェクトの主要テーマの一つです。
さて、それはAAにとっても無縁のテーマでは決してありません。ビル.Wはこのように書いています。
ここでビル.Wが述べている「神学と科学の間にある緩衝地帯」とは、具体的にどのようなものなのか、それをスタディのメインテーマにしました。
その緩衝地帯を生み出すために、ジェイムズは多元主義、可謬主義、プラグマティズムを駆使します。
科学の普遍性、宗教の個人主義を対比させ、個人の苦悩に親密に寄り添う宗教の有用性を強調することによって、ジェイムズは宗教に対する「宗教は科学がなかった時代の、過去の遺物である」という批判を退けます。
ここはプラグマティストとしてのジェイムズの面目躍如たるところです。
重要な点は、ここでジェイムズが言う「宗教」は組織や教義を意味しないことです。個人の直接体験としての宗教現象を有用性によって評価する姿勢は、ある意味では既成宗教からすると受け容れがたいものでしょう。それでは組織や典礼が意味を成さなくなってしまう可能性があるからです。
この点はAAも意識的に取り入れている重要ポイントです。
AAは「自分を超えた偉大な力」を直接体験することで、人はアルコホリズムから回復することができると主張します。これは極めて個人主義的、そして有用性に基づく現世利益を求める世界観でしょう。
この点は、伝統的な宗教団体からするとあまりにも幼稚かつ未熟な思想です。その点はビル.Wもしっかりと自覚しており、このように述べています。
AAはプラグマティズムという、極めて科学的な思考法を持っています。
同時に超自然主義と(自由な)神概念という、宗教から受取った道具も手にしています。AAは明確に、宗教と科学のいいとこ取りを実践しているわけです。
厳密な体系性や真理観を避けて、多元的な真理観や可謬主義、プラグマティズムに基づいた方法を採る。このAAの姿勢は科学や宗教から見れば、まさに「幼稚園」でしょう。
AAが12の伝統においてアマチュアリズム(反職業化の原理)を掲げるのも、この点を踏まえれば理解できます。幼稚園の方法論で金をとっちゃあいかんでしょ。
AAプログラムの基礎部分は多元主義、可謬主義、プラグマティズムです。それらを土台にした幼稚園のスピリチュアリティを持つのがAAであり、「私はAAで本物のスピリチュアリティを知った!」なんて言っちゃってるAAメンバーは何も分かってないお馬鹿ちゃんなわけですね。
まぁ、誰もが一時期通る熱病です。AAではこの熱病を「ピンクの雲」なんて命名していますね。
そんなことを考えながらスタディをしていました。
ミーティングではもっとジェイムズの論述にそって、科学と宗教の調停作業を追っていますので、興味のある方はミーティングへどうぞ。
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さてさて、結論では「科学と宗教」というテーマから「真理」の問題にジェイムズが移っていきます。かなりエキサイティングな議論が続きますので、お楽しみに。
そのエキサイティングさ、面白さ、豊かさはアル中の「良いか悪いか」という白黒思考では決して捉えられないものです。
まぁ、回復がある程度進んでいないと『宗教的経験の諸相』は読めないですね。最近はそんなことを度々感じています。
参考文献
ジェイムズ, ウィリアム (1970) 『宗教的経験の諸相 (下)』桝田啓三郎 訳, 岩波文庫
リンク
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『諸相』スタディのシラバスやスケジュールなどは、下記公式サイトを確認してください。