スタディ通信 23年7月号
暑くなってきましたね。
私は暑さよりも湿気にやられています。こう書いて気づいたのですが、年がら年中、気候のなにかしらにやられていますね。まぁ、虚弱なのでしょう。しゃーなし。
スタディのふりかえり
7月1日の『諸相』スタディでは「神秘主義」という広大なテーマを扱いました。
「神秘的体験」とはどのような要素がある体験なのかを定義し、それらの内実に接近するジェイムズの議論はなかなか刺激的で、この講は私も大好きな講です。
さてさて、AAの中でも「霊的体験・目覚めとはこのような体験である」というさまざまな定義があります。
ふと思いつくだけでも「人格の変化」「神を意識すること」「道徳的な自分になる」「愛を感じるようになる」などなどなど、人によってさまざまです。
私はそういった定義をあまり真面目に相手はしないのですが(どうでもいいから)、定義をつけたいときはジェイムズが引用しているJ・トレヴォーアという人物の手記を援用しています。
こんな文章でした。
なので、私が誰かに「霊的体験・目覚めとはどんな体験なのですか?」と聞かれたら「体験すりゃわかるよ、しなきゃわからないよ」と答えるでしょうし、実際にそう答えています。
神秘主義の講でもジェイムズによって強調されていたように、その体験は全てを言語化することは不可能なのです。
まだ霊的な経験をしたことのない人は、それがどのような体験か知りたがるものですし、それは自然なことです。期待や不安が入り混じった感情を持っているのでしょう。私もそうでした。
ですが、カレーを食べればカレーの味を食べたことのなかった頃のように気にすることはなくなります。さまざまなバリエーションがあるにせよ「カレーというのは大体あの味」ということが経験として理解できるからです。
この経験による直接性が大切ですね。
しかし、カレーはカレーであり、刺身はカレーにはなれませんしなる必要もありません。カレーをカレーたらしめている要素、それはなんなのか。
そしてその要素が、どのようにアルコホーリクの回復に関わってくるのか。
そんな12ステップにも深く関係するテーマを次回も扱います。
たぶん、夏バテでへろへろになってると思うのですが。
参考文献
ジェイムズ, ウィリアム (1970) 『宗教的経験の諸相 (下)』桝田啓三郎訳, 岩波文庫
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