見出し画像

呟きエッセイ:ソファは不健康の根かもしれない

と思ってグーグル先生に聞いてみたら「座りすぎは不健康になる」的な記事がいっぱい出てきたので、やっぱりソファは健康には良くないのかもしれません。私は半日をソファで過ごした上でソファで寝るくらいソファのことが好き。

 今日も半日外を出歩いていて、帰って風呂に浸かりながら感じたことを書き記しておこうと思いました。
 ずばり、「多少はやることがある時のほうが健康」という話。
 家にずっといると健康を損ねる、そこそこ外で働いている方が健康的である、散々言われてきた世間の通説を身を以て感じたというだけのことです。
 私は生来、家が大好きすぎて、基本的に外を出歩くことは好きではなく、極まりすぎて生家より出て生活をしたことがない者です。遠くの街で一人暮らしするとか引っ越しするとか、そういった「新天地求めていく系」は考えられなかったのです。
 なのでまあ、理由がなくなったら外にすら出なくなります。出不精ですし、何より外は怖いので。外で具合が悪くなったら人に迷惑をかけるし。外で帰れなくなったらどうしよう。怖い。家の方が快適だし。家にはだいたいのものが揃っているし。家に無いものを外に出てまで求めようとは思わないし。通販もあるし。(通販のない時代は生活に必要なものを自分で買う必要もなかったし。)
 でもそうして10年近く過ごしていると、「出なくなる」のではなく「出られなく」なり、「出られないから出られない」(???)ということになっていくことが分かりました。出られないから、もっと出られなくなる。それは精神的にも、体力的にも、社会的にもそうなります。意味もなく外をぶらついているいい年の成人は不審者と見られがちなので、社会的にも出づらくなるのですね。
 そうして「出られなくなった」時からが不健康の本番といったところのようで、そこから一気に「不健康さ」が加速していきます。こうなってくると用事があっても出かけられないし、出かけたくないから用事を作らなくなります。そうなるともうあとは一直線です。基本的に不健康なのでただ家にいるだけで具合が悪い、から始まり、具合が悪いから外に出ない、外に出ないからまた具合が悪いという最悪のループに突入するのです。最悪すぎる。
 でもこれが最悪のループであると気がつくには自分で外に出て何かをするしかないのですね。でもただ外に出るだけではダメで、何か都合を付けて「外にいなければならない(外で何か働いていなくてはならない)」状況をつくらねばならないようで、私は今回恵まれて(と言うのが正しいと思う)その状況に身を置いたのですが、今朝の家を出るその瞬間まで家から出たくなくてそんな状況にした自身を呪っていました。多分これからもそうだと思います。慣れるまではずっとこのままでしょう。そしてさらなる問題は、慣れるほどの十分な期間その用事が続かないことです。

 また家から出ない生活になったら怖い。出られなくなる。怖い。今はそれが一番こわい。

 今ある用事がなくなったらどうすればいいんでしょうね。なければ作ればいいじゃない、とかいう精神性を持てる人間は、そもそもこんな状況にならないのですね。悲しいです。
 とにかく歩ける靴を手に入れたので、そしてそれは実際とても快適な靴であることが今日判明したので、この靴を履き潰すつもりで外に出る用事を作り、あわよくば働けることを目指そうという気持ちになったのが今日の顛末。
 この気持ち、きっと明日にも消えているだろうと思います。なのでnoteで残しておこうと思ったのです。なんて情けない理由でしょう。でもそれが私の今ある現実なのです。情けない。でもまだ生きている。ちょっとすごいかもしれない。今は気分が少し上向きのため。

 ちなみにタイトルでなぜソファが槍玉に上がっているかというと、実際外から帰ってきてテレビとスマホを見ながらソファに一時間も座っていたら具合が悪くなってきたからですね。どうしてでしょう。うちのソファがもう使い古してクッションもコイルも表面カバーもダメダメなのはわかっているのですが……。もしかして、いいソファを買ったら健康になるのでは? 逃げるな。ソファと決別しろ。嫌だ。自室にもソファを置いてるんだ。ソファで寝たい……疲れたのでベッドで寝ます。おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?