新しい関係性
今回は賛否両論がありそうなタバコの話。
私は喫煙者でポケットには常にタバコとライターを潜ませている。今のご時世若い女の喫煙というものは中々受け入れられ難いもので。
ここまでの文面でも顔を顰めた方もいるかもしれないが、私が喫煙者になるまでの経緯を綴ろうかと思う。
皆さんは煙草と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか。煙が嫌、臭いが嫌、マナーの悪さが嫌、でも吸ってる姿には少し惹かれる?
私も同じだった。
私の両親は父母共にヘビースモーカーで、物心ついた時には近くにタバコがある生活を送っていた。中高生ともなればそれはそれは嫌なもので、両親との会話の二言目には煙い。私が癌で死んだらどうするんだなんて言い放った事も少なくない。
健康を気遣って禁煙を勧めているというのに、何故この人達は吸うのをやめないのか、それで本当に癌になったらどうするのか、病気になるのは2人か私か、どちらにせよ辛いじゃないか。
とそれはもうイライライライラ。
家族旅行に出かけど、喫煙所を転々として歩くスタンプラリーのようで少し歩けばすぐ休憩。もはや喫茶店巡りでこちらは付き添いで飲むアイスティーで腹が膨れてしまう。これが友達と歩いていたのなら、時間を目一杯使って歩き回れるのに。
これまたイライライライラ。
何がそんなにやめられないのだと、そんなに手放せなくなるほど美味しいものなのかと隠れて一口吸った時の衝撃。まぁー不味い。全力で顔を顰めた記憶がある。
父にタバコのどこが美味しいのかと聞けば、
たった一言「美味しくないけど旨いんだ」
ますます意味がわからないぞ。
両親もタバコも嫌いになりそうだった中高生の時代から数年が経ち一人暮らしになると煙の臭いも薄れ始めた。そして成人を迎えたその日、ふと、コンビニに行ってみたのだった。
20歳の特別感というものに心が浮ついていたのか、あんなに嫌いだった煙草に気づけば手を伸ばしていた。
1人部屋で火をつけたタバコは、両親と同じ臭いで、なんだかようやく親と同じ事が出来たような気分。もしかすると私は仲間外れが嫌だったのかも。
それでもタバコは相変わらず不味くて喉の不快感に溜息をついた。
そこから吸い続ければ両親と同じ美味しさを感じられるだろうかと1日の本数を決めてノルマのように吸ってみる。しばらくして違和感なく吸えるようになった頃、大学の先輩と喫煙所に行く機会があった。
私の所属していたサークルはそれはもうお堅いものでピアスや染髪すら目立つ程、真面目な人が多かった。そんな中で唯一喫煙者だったその時の会長と、学校の隅に追いやられた喫煙所に向かう。キラキラした他学科の子達に囲まれ二人して肩を竦ませながら煙をふかした。
そこで聞いた話は、これまでサークルで見せていた先輩の姿や話とは異なるもの。なんとなく今この空間だからこその話のような。きっと部室に戻っても同じ話はできないだろう。
これは行った事がある人しか分からないかもしれないが、喫煙所というのは何とも不思議な空気感がする。謎連帯感と言えばいいだろうか。
あぁ、これがたばコミュニケーションってやつか
その時始めて、タバコってやつは意外に不味くないのかもしれないと心のどこかで思ったのを覚えている。
そんな中、両親が私の家へと遊びに来る機会があった。一人暮らしになったからか、同年代の子達の親より少し年齢が高いことからか、自分の中での"優しく''が自然と滲み出るのが分かる。
街に出た時の喫煙所スタンプラリーも、何故か気にならなかった。寧ろ疲れたなら休もうかと無意識に声をかけていたし、喫煙席のある店を探すためスマホと奮闘していた。
私の喫煙姿を見て両親は困ったように笑った。そんな姿に、親心としてはやはり吸わないでいて欲しいものだろうかと尋ねてみる。
「健康的にはまぁ…でもこの時間は悪くないね」
少し嬉しそうに言った両親を見ながら吸っていたタバコ、あれは"旨かった"
タバコは雰囲気が美味しくさせるものなのかもしれない。今になって両親のタバコを許せたのは、喫煙者としても子供としても歩み寄れた事になるだろうか。
勿論両親には長生きして貰いたいし、癌なんて真っ平だ。喫煙を全肯定するつもりは無い。
それでも、昔より確実に短くなっているだろう両親の残された時間に、好きな事をさせてあげて私が寄り添う、というのも一つのやり方だと思える。正面から否定するだけが愛じゃないような気がした。
両親と行く純喫茶でコーヒーを飲みながら煙草を吸う時間は楽しくて。この歳になって今まで聞かなかった2人の話を聞けた事もある。
きっと中学生の私が聞いたら驚愕するだろう。今だって自分が喫煙者である事実に笑ってしまう時があるんだから。
そんな昔の私に伝えるとしたら
タバコは確かに"旨かった"よ
嶋
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