【おじさん大学院生の挑戦7】社会人学生の履修登録
入学式のあと、続けて取り組んだのが「どの講義を履修するか」の検討です。社会人学生がもっとも気にするところだと思います。
例えば、別大学の研究科に進んだ僕の知り合いは、修士1年のときに週4日ほど、平日は夜6時以降の講義を、あとは土曜日に複数履修していたと話していました。僕の研究科も社会人向けに土曜日の講義が複数あるのですが、それよりも平日の夜の方が充実していて、僕は平日夜を中心に検討を進めました。
ただ、どうしても履修したい講義が平日の昼間、という場合もあります。それはもう覚悟を決めて履修することにしました。例えば2024年の春学期だと、午前中にひとつ、夕方にふたつ、あとは夜やオンデマンドの講義にするような感じです。ゼミは平日の夜だったので、基本的には週に3日ほど夕方から大学に滞在し、1日だけは午前中に行くという生活になりました。ゼミ以外で履修したのは5講義でした。
あと、もう30年くらい前の記憶なので不確かなことがあったらすみません。学部のときは通年、つまり1年かけて単位を取るものが多かったのですが、今回は半期ごとでの講義が中心でした。それは単位も4単位ではなく2単位となります。まずは春学期の履修を進め、秋学期はまた改めて登録作業を行う。限られた2年間の修士期間において、バランスよく、講義に出られないリスクも踏まえつつ、しかしもっとも大切なのは自らの研究に資する内容であることを優先させて履修します。
この春学期の履修を通して感じたのは、講義のある期間ずっと大変ということではなく、レポートや発表の重なる時期があって、そこがめちゃくちゃしんどかったということです。僕が履修した講義のほとんどで発表とそれに合わせたプレゼン資料の作成があり、中にはレポート制作が必要なものもありました。そしてかなりざっくりとですが、講義期間の前半はレクチャーが多くて、それを踏まえて後半に発表やレポート制作があるため、それをうまく調整しながら準備を進めるのに苦労しました。
一方で、仕事のスケジュールはおおよそ平均的にやってきます。ひとりの会社ではあるものの、そこはそこで取り組まなければならないので、特に忙しかった時期は徹夜が続くときもありました。
では、その結果はどうだったのか。実は、春学期に関しては皆勤賞でして、いろいろ心配していたことをよそに、講義は100%出席できました!
自分でもびっくりです。うまく仕事を調整できたからですが、仕事自体も週に40時間は確実にあったので、そこはうまく乗り越えられたな、と自分でも感じます。
誰にも、1日に与えられている時間は平等に24時間です。そのうち、仕事を優先しつつも、その他の時間をいかに調整して自分の生活を彩っていくか。ここはそれぞれの置かれている環境によって違うと思います。
僕は、「仕事」と「大学院」の2つが優先順位の上位です。それらに必要な時間を確保すると、おのずと他の時間を減らすことになります。例えば、家族との時間は確保しつつも、誰かと飲みに行く機会(これ多かったです)、動画配信サービス(韓流ドラマにはまっていました)、料理時間(無になれる時間)などなど。携帯をいじる時間すら少なくなりました。でも、ムダとまでは言いませんが、そこまで重要でなかったものに気づかされました。
また、学ぶ場所は夜の図書館(22時までやってます)、それから移動中の電車の中も活用します。自宅から大学まで1時間少しかかるため、往復の電車で学ぶ内容と、座って図書館で学ぶ内容を区分して、効率よく学べるように工夫しました。
また、「学ぶ」と言っても、昔のように暗記をするわけではなく、講義に関連した論文や書籍を読み、論点を整理したり自分が注目するポイントを抜き出して考察したり、「考える」作業が大半です。また、履修している講義も自分が関心のあるテーマばかりなので、この「学ぶ」作業がまったく苦にならないのです。むしろ楽しいと思うくらい。だから徹夜が続いたとしても、その達成感はとても大きなものでした。
社会人になって学ぶというのは、こういうことなのですね。例えば、学部時代に「社会学」を学んでも、概念的な理解ばかりだったと思うのですが、いまはさまざまな社会の出来事と重ねてイメージ化することができます。レポートを作成するときは、自分の経験と重ねて検証することもできます。ここが社会人大学院制の醍醐味であり、また役割なのではないかと感じます。
そして、今後はこの「学ぶ」を自らの「研究」に向けて、どのように展開させていくかが必要になります。まだまだ研究者と名乗れるわけではないのですが、この「研究」を意識することがこれから自らの課せられる重要な課題なのだと思います。その意味で、修士1年の春学期は「学ぶ」ことを通して「研究」に向けた意識づけが徐々にできてくる、そんな時期だったように思います。