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【憧れのあの人】カッコイイ叔父さんという選択肢

私には昔から結婚願望があまりない。

何故なのかはよく分からないし、恐らくその理由は「これ」と明快に言えるようなひとつではないのだろうと思う。

私には人生の先輩としたい憧れの人が何人かいるのだが、その人々に共通しているのは自身の心に従って生きているという点のみであり、結婚している人もいれば、生涯独身だった人もいるし、離婚している人もいる。

何というか、そういった意味で、自分自身の人生にも結婚は必須ではないと考えているのかもしれない。

結婚しなくても、子供を持たなくても、誰かにとってのカッコイイ叔父さんになれたら、それで充分じゃないかと思ったりもする。

今日はそんな私の人生のロールモデルたる叔父さんを2人紹介したい。

まず1人目はロマン•ロランの『ジャン•クリストフ』に出てくるゴットフリート叔父さんである。

ロマン•ロラン

上の写真は筆者のロマン•ロラン(1915年にノーベル文学賞を受賞している)だが、私のイメージするゴットフリート叔父さんはこんな瀟酒な男性ではない。重い荷(物理)を背負っているせいで背中の曲がった、小柄な男性である。

ゴットフリート叔父さんは主人公ジャン•クリストフ(モデルはベートーヴェンと言われている)の母親の兄で、行商人だ。職業が賤しいためにクリストフの父方からは見下され、甥っ子達からも軽く扱われている。

だがしかし、ゴットフリート叔父さんは物事の本質を理解しており、それでいて押し付けがましいところのない、作中随一のイイ男なのである。

クリストフもはじめは他の兄弟と同じようにこの叔父を馬鹿にしていたが、だんだんと心を通わせるようになる。

ある日、とある出来事をきっかけに酒に溺れて身を持ち崩してしまい、将来に絶望したクリストフが叔父さんにこう問いかける。

「叔父さん、どうしたらいいでしょう? 僕は望んだ、たたかった。そして一年たっても、やはり前と同じところにいる。いや同じところにもいない! 退歩してしまった。僕はなんの役にもたたない、なんの役にもたたないんです。生活を駄目にしてしまったんです、誓いにそむいたんです!……」

ジャン•クリストフ(一)

この問いに対して、叔父さんはこう返す。

「そんなことはこんどきりじゃないよ。人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝心なことは、ねえ、望んだり生きたりするのに飽きないことだ。その他のことは私たちの知ったことじゃない。」

ジャン•クリストフ(一)

「ごらんよ、今は冬だ。何もかも眠っている。がよい土地は、また眼を覚ますだろう。よい土地でありさえすればいい、よい土地のように辛抱強くありさえすればいい。信心深くしてるんだよ。待つんだよ。お前が善良なら、万事がうまくいくだろう。もしお前が善良でないなら、弱いなら、成功していないなら、それでも、やはりそのままで満足していなければならない。もちろんそれ以上できないからだ。それに、なぜそれ以上を望むんだい? なぜできもしないことをあくせくするんだい? できることをしなければならない……我が為し得る程度を。」

ジャン•クリストフ(一)

これを聞いたクリストフは「でもそんな生き方つまらなくないですか?」というような返しをする。
(この問いに対する叔父さんの答えがまた良いのです。気になった方はぜひ読んでみてください)

この本を初めて読んだ大学生の時の私も、やはりクリストフと同じことを思った。

その頃の私も、常に目線は自分の遥か上にあり、できないことや手の届かない何かに気を揉んだり、自分を責めたりしていたので、叔父さんの言葉はとても心に刺さったのだが、半信半疑な部分もあった。

「自分にできることをすればいい」、でもそれって楽しいのかな? そんな地味な生き方でいいの? そんな風に思ったのだった。

今でも、悩んだ時や自分が嫌になった時、私はこの本を開いて叔父さんの言葉と向かい合う。
昔は頭では理解できても腹落ちはしていなかった言葉だけれど、10年以上経ってようやく、自分の思想の一部にできたような気がしている。

クリストフと歳が近かった私が、今ではたぶんゴットフリート叔父さんと近い歳になり、それでもやっぱり、今でも叔父さんは私の先を歩いている。

これからも人生の岐路でふと立ち止まりたくなった時、私は叔父さんに会うためにこの本を開くのだろうと思う。

思った以上に長くなってしまったので、もうひとりの叔父さんについてはまた別の機会に書きたいと思います。

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