にはちと忍の絡みは「てぇてぇ」なんかじゃない
てぇてぇなんて言葉は浅過ぎる。
2人の絡みに対する感情はもっと欲望にまみれてて、グロテスクな渇望、飢えなのだ。
てぇてぇについて説明しよう。
自分が思うに「てぇてぇ」とは、配信中に「裏でにはちと喋ってたんだけどさぁ」と忍が話していたら「仲が良くて微笑ましいなあ」と思う事である。
これを第一段階とすると、次の段階は「配信でやれ」という感情である。
てぇてぇをもっと供給しろ。俺に見える所でやってくれ。てぇてぇとはやや異質である。ただ眺めているだけではない。厄介の匂いがしてくる。
さらに次の段階がある。
配信ではどうしても配信向けの絡みになる。たとえばエロアニメの同時視聴は配信でやらない。となると「2人の絡みを壁として見ていたい」と思う様になる。
自分はこの段階だと思ってたけど、つい昨日もう1段階次のフェーズがあることに気付いた。つまり、神になりたいのだ。
壁として2人の関係を眺めていても、2人が何を考えているかは分からない。
例えば忍は「にはちは頑なに会ってくれないんだよね」と思ってる。
にはちはネットの友達に対して「ネットで知り合った人と会うのは怖いけど、リアルで会わないと友達扱いじゃないんだ…」みたいなことを考えてる。
(ネットで知り合った人と会わないのは、忍レベルの付き合いの人にも適用されるんか…という驚きと共に、にはちに対する謎の信頼感)
そういう2人の感じていることまで観測したい。ここまで来るともう神になるしかない。2人の一人称を同時に把握するのは本人達ですら無理だ。
と、いう事で2人に対する感情を表すなら、てぇてぇなんかでは済まない。
私は神になりたいのだ。