文字にできないことは把握できていないということ 21.10.08

ご訪問いただき、ありがとうございます。このnoteは『思考は文字化すると現実化する』の著者、横川裕之の日々の気付きや頭の中身を残していくものです。なので、推敲はほとんどせず、思いついたままに書いています。


以前、ボクの講座『文字化合宿』に金額も聞かずに「参加します!」と言ってくれた人がいました。こういう人は何人かいたんですが、必ず値段をお伝えするのです。その金額を正直にお伝えをすると、キッパリと2通りに分かれます。ひとつは「高っ!」と口に出しては言わないものの、明らかに顔に出ている人。もうひとつは「安いですね」という人。

前者はその金額を支払ったことがなく、できたら無料で事を済ませたいという思いが強い。

後者は払った金額は、絶対に金額以上の価値となって返ってくると確信を持っている人。まぁ、返ってくるというよりも、金額以上の価値に変える!という強い意志を持たれています。

30代サラリーマンの平均月収の2倍近くの金額です。形のない講座に支払うのは、そりゃ恐怖が出るものです。

で、多くの人はその恐怖に耐えきれなくなり、もっともらしい理由をつけて現状のままを選びます。だから、常に変化し続ける人との差は、圧倒的に広がるしかありません。

じゃあ、常に変化し続ける人も、最初から変化に対する恐怖はなかったのでしょうか?という疑問が出て来るかも知れません。

変化に対する恐怖、というのは常に持っています。でも、恐怖に対する対処法を知っているからこそ、その恐怖を乗り越えていくことができるのです。

じゃあ、そもそも恐怖をどうやって認識したらいいのか?

という質問も出てきそうですね。

この答えは「自分の思考や感情を文字にすること」です。

あまりに当たり前過ぎな結論になりますが、これをやらずに、自分の頭の中でグルグルと暗算している人がホント多いです。暗算と筆算、どちらのほうが正確性は高いでしょうか?おそらくほとんどの人にとっては、筆算だと思うのです。

これは計算だけでなく、自分の思考や感情を把握するのにもあてはまります。文字に落とすことができれば、把握できていることになりますが、文字にできていないのであれば、それは把握できているとは言えません。

自分のことを知りたい、わかりたい、という人に限って、自分を作っている行動や行動を作っている思考、そして、思考を作っている言葉に気を向けません。その言葉を文字にすることで、自分の思いを客観的に可視化できるようになります。それを体験して、自分のものにしていただくのが『文字化合宿』です。

客観的に可視化できるようになると、どんな風に変わるのか?

ぜひ経験者の皆様の声を読んでみてください。

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