物事をやめるタイミング 21.10.01
ご訪問いただき、ありがとうございます。このnoteは『思考は文字化すると現実化する』の著者、横川裕之の日々の気付きや頭の中身を残していくものです。なので、推敲はほとんどせず、思いついたままに書いています。
「成功するには成功するまでやればいい」
確かにそのとおりです。でも、人間弱いですから、見込みのないものはやりたくないし、自然とやめていってしまいます。投資の世界で「損切り」というやり方があるように、最初から自分で「ここまでのライン」というのを決めておいたらいいと思うんです。
たとえば、今日から何か新しいことを始めたとして、「毎日2時間取り組んで、1年で達成できなかったらやめて、次のことをする」というように。
たとえ、期限までに成果を出せなかったとしても、そのまま続けても何も問題はありません。やっていくうちに楽しさが見つかることだってありますからね。
一番ダメなのは、いつの間にかやらなくなってしまう自然消滅。やめるんだったらやめる、としないと、いつまでも意識の奥底で気にかけた状態になってしまいます。それは無駄にエネルギーが漏れている状態です。
本当は100のエネルギーを使えるところをキッパリとやめていないので、95くらいしか使えていない。1日あたり5のエネルギー漏れですけど、これ、1年続いたら、1825です。これだけのエネルギーを集中して使えていたら、もっと早くに成果を出せていたかもしれません。
そもそも、新しいことを始める前に、やめているのかどうかわからない中途半端なことにケリをつけてしまいましょう。1日24時間しかないですし、1日に使えるエネルギーも限られていますからね。
ちなみに、結果が出なかったとしても、自分が一生涯かけて取り組むことに出会えたのなら、それは幸せなことだと思うのです。結果が出ないからやめる、というのは、そもそも、その取り組んでいることを愛していたのではなく、ただ結果を愛していただけです。目の前にあるものを愛さないで、その向こう側にあるものを愛する。
もし、取り組んでいることに心があったとしたら、そりゃ、取り組んでいることは微笑んでくれません。よく「○○の神様が…」という言葉がありますが、結果を愛するということは、取り組んでいることの神様を無視する行為なので、結果をもたらしてくれるはずがないのです。
取り組むことをひとつに絞って、それを愛する。それを続けていれば、自ずと結果はついてきます。
なんでこうやって言い切れるのか。
ボクは文章を書くのが好きですけど、決して結果が出ているとは言えません。もちろん、文章を書くことで本を出したりして、生活はできていますので、人並み以上の成果は出ていると言えるでしょう。でも、上には上がいて、ひとつ企画を出したら、1億円は当たり前に売り上げてしまう人たちを間近に見ていると、自分の力不足を痛感せざるを得ません。
じゃあ、1億円の結果を出せていないからやめるのか…と言われても、やめる気はさらさらありません。だって、こうやって書いているのが楽しいですからね。楽しいことは、たとえ結果が出なくてもやりたくなるものです。
だからやめるという選択肢がそもそも出てきません。
うん、やっぱり、結果を求めてしまうからやめたくなるんですね。
まずは結果度外視で、楽しんでみることから始めたらいいと、心の底から思います。