私が「英語力」を感じる瞬間 Humour(ユーモア)編
こんにちは。
今日も今日とて英語の記事です。私はもうnoteを思考の掃きだめにしようとしているから、英語のことつぶやくぞ!とか決めていないんですが、結局英語に関することばかり書いている。プロフィールをもっと英語のこと書くっぽい人の名前にするべきか。いや、noteの幅を狭めたくないし、英語発信者としての責任を負いたくもない。無責任につぶやく。書くのではなく、つぶやく。
とはいえ、今回のテーマは少し実践的な内容で、読者にもちょっと有益だったり、共感や発見を呼ぶ面白いものになるのかもしれない、という下心はちょっとある。
英語をこじらせ、悩まされ、やっと自信が持ててきた私の「英語ができるようになったと感じる瞬間」。
Humour (ユーモア)、難易度高すぎ
※Humour(イギリス綴り)は、ユーモアの語源です。日本語ではどこか上品な、人を傷つけない(ここ重要)機転の利いた笑いを指すと思うのですが、英語のhumour人を傷つけかねないぞ、という私の考えから、以下すべてhumourと表記します。
ジョーク、humourが分かるというのは、もうその言語を「モノ」にしたと言っても過言ではない。
私はそれらを扱うコメディとやらに造詣が深いわけではないので多くを語れないが、それらは頭を使って理解するための時間や「隙」を与えてくれない。「どういう意味?」とやって理解しようと頭を働かせた時には、もう笑いは死んでいる。
「塔の上のラプンツェル」のゴーテル(若さと美しさに執着する女。ラプンツェルの若返りの髪のために彼女を誘拐し、育ての母となる)がラプンツェルの髪の魔法の力を出すために歌を歌い、魔法を発揮した髪を切り取った瞬間にその魔法の力は失われてしまう、あの冒頭シーンを思い出す。
日本語でも笑いの鮮度が保たれたまま楽しめる笑いばかりではないのに、言語の壁があったら難易度はskyrocketだ(この単語が好きだ。日本語話者でもニュアンスが理解できる楽しい単語だ)。言語だけじゃない、文化の壁がある。
この笑い、理解できなかったぞ。落ち着いて意味を取ってみよう。ああなるほど。
はい残念時間切れ!この時点でも笑いは死んでいるが、どこがおもしろいのか理解できるだけだいぶマシだ。
問題は、何が面白いのか全く理解できなかった場合だ。
日本のコメディでも何が面白いのか分からないものはあるだろう。だが、大抵は「いや別に面白くないけど」「これどこがおもしろいねん(蔑み)」というものの、他人が面白いと思うポイントがどこなのかは分かるものだ。
英語の場合、これが全く分からない。真っ白な心と頭で「え、どこがおもしろかった今」となる。
恋人との関係を見直しかねない、humour感性の壁
Kevin's English Roomに『国際結婚で苦労した話』という動画がある。
「笑いのツボが合わない」というものにKevinが「これはDeal breakerだな~」と言っていたのを覚えている。ここでのdeal breakerは、恋愛関係を見直すことになりかねないほどの問題というものだ。全くだ。上記のような日が続いたら、恋愛初期段階なら特に別れがちらつく辛さがある。自分の感性を分かってもらえないし、相手の感性が分からないんだから。
イギリス人の彼氏がいる私、大いに思い当たる。
彼氏が見せてきた動画。これは面白いみたいだ。コメディアンの観客も大笑いし、彼は見せている間も甲高く笑っている。
だが、私の異変に気付く。取り残された私に気づく。彼の笑い声と笑顔が消えていく。笑えない私にがっかりしている彼氏(彼氏は私にがっかりしているのではなく、あくまで状況にがっかりしているだけだ。彼の名誉のため書いておく)。
何も悪くないのに謝る私、状況説明に入る。ごめん、文化もあんまわかんないしこの部分聞き取り難しかった。これってどこがおもしろいか説明してくれる?
言葉では説明できないよ、と彼。説明しようとした時点で興ざめなのはわかっている。またも失われる私の自信。あからさまながっかり顔を受ける彼。漂うどんよりとした雰囲気。
西洋ジョークは最初に教えてもらわないと分からない。だいぶ失礼な、ギリギリアウトなラインを攻めるのだ。ギリアウトはつまりアウト。あらゆる風刺がふんだんに盛り込まれている。「西洋では見た目をいじるのがタブー!」嘘です。日常でもメディアでもド失礼なこと言いまくりだわ。
あんなんが日本に普及したら、ネットニュースはそればかりになりそうだ。Xユーザーも手を休める暇もなく、モノ申し続けることができるだろう。
中でもブリティッシュユーモアは曲者だ。失礼の大ボス、Sarcasm(皮肉)。
失礼なのが面白いという感性はある。だがそれは裏や身内ネタで収めるもので、表に出すのはタブー、ましてや対象がそこにいたら最悪の行為だ。
ところがどうやら、対象がいても、いや対象がいるときほど、失礼なことを言いまくる。一回ではなく、連続で言いまくっている。それが面白いというのだ。言葉のナイフが宙を行き来するのが見える見える。流れ矢に私も当たる。痛い。余裕で全治1週間。もし日本語でそれらが行われたら、嫌われ者の勲章を授けられること間違いなし。
エミー賞を総なめした『将軍/Shogun』で、旗本に任命されたイギリス人Blackthorneが「触るな」の意で「触ったら死ぬ」と言った対象の絵かなんかに触った者が処され、Blackthorneが激昂した描写は印象的だ。
言葉に魂が宿ってきた日本語の使い手としてなのか、はたまた自分の個性なのか、言葉をそのまま受け取り、さらにしかと重く受け止めることを私はしてきた。ブリティッシュhumour、私との相性が抜群に悪い、thank you very much!
初めての「面白かった」ジョーク イギリス人に囲まれたディナーの席で
ジョークを、humour分からないなんて…と落ち込んでいた私も、いつまでも落ち込んでいるわけではない。他にやることもあるし、他に達成した英語のあれこれもあった。Humourが理解できないことは、現時点では半ば諦めていた。それを分かるには、簡単に言えば「高度な技術がいる」と実感したからだ。諦めてからしばらく経ち、記憶の彼方にあった。
ときは突然に訪れた。
彼氏の母方の祖父が彼氏の家を訪ね、ディナーを共にするというので、私もお供させてもらった。
彼氏、彼氏母、祖父、祖父のパートナーのご婦人、彼氏妹(15)、私で近所のパブ兼レストランに行った。
彼らの英語はまあ、85%くらいだろうか。大体言っていることはわかり、私の知らない親戚の話だけ分からないといった具合だった。
ジョークが分かった話をしているので、肝心のジョークを説明しなければならない。
どういう経緯か、祖父のパートナーがいかにも上品な語り口で、ゆっくりと逸話を話し始めた。
ある男(職業は忘れた)が、水を入れたグラスを3つ用意して並べ、一方の端のグラスの水には話しかけ、真ん中のグラスのはその影響を受け、もう一方の端のグラスは無視した。男はその後すべてのグラスの水を凍らせた。話しかけたグラスの中の水が最も美しく凍り、無視されたグラスの水が最も美しくなかった。(私の記憶から抜粋、意訳)
彼氏「無視されたグラスがそのままイヴァ(妹)じゃん」
円に座ったテーブルの誰よりも高笑いしてしまった。とっさに出た笑いだった。ツボにハマってしまった感覚だった。
ここでいうグラスが妹で、男が彼氏と妹の母だ。
彼氏母は、本当に自由に、半ば放任主義ともいえる形で子ども達を育ててきた。妹はその結果…結構まあ…自由な方に走ってしまっているというわけだ。こういう文脈があった。
その夜は1パイント(約500ml)のビールを飲んで、だいぶ酒が回っていたからかもしれない(私は酒がだいぶ弱く、2分の1パイントが限界値だ。帰路おぼつかない足取りで、彼氏には迷惑をかけた)。本当に面白かったのだ。
酔いが冷め、気が付く。私、イギリス人のジョークで笑ったのか?信じられない。言語力と文脈と失礼さの度合い、これらすべてがうまくいって、私に「笑い」をもたらした。
あのディナーの場で私は、誰よりも彼らの会話を楽しんでいた。
私、ついに彼らのhumourを感じ取ったのだ。
Humour理解は必須じゃない でも楽しい
そんなわけでこれが、私は10年以上の英語学習生活を経て初めて、西洋humour(大きく括ってすまん)の感覚を英語でつかみ、自分のものになった瞬間だった。今ならアメリカ人の友人が送ってくれた彼自身のスタンドアップコメディ、分かっちゃうんじゃないか。後で見よう。
英語のhumourとは非常に複雑だ。英語のリスニングレベルを、聞いた瞬間即座に意味が身体に染みわたるようでなければいけないし、歴史や文化、現代のニュースや家族事情などの文脈を知っておかないと笑えない。それら要素が足りなくて笑えないからって悪いことじゃないし、英語能力の不足でも何でもない。
だが、それらがあるときピタッとハマって「面白い」と「思う」前に笑い声が出たとき、英語学習者としてなんとも言えない満たされた思いになる。
英語「で」、笑う。英語の人生、まだまだこれから楽しくなる。