いつもと違うお盆休み
巷はお盆休み
私の地元や職場付近は帰省先であり観光地なので、大きな荷物をゴロゴロ引きずっている人や、いかにもレジャーという人など、日頃と違った人たちがうじゃうじゃいて、ああ、巷はお盆なのだなあ、ということをしみじみ思い出します。
遠出自粛とgotoキャンペーンが同時並行だけれど、自分たちがどう判断しどう行動するかは考えることによって決まる。このあたりは、とりあえず近場だったらいっかー的な感じの人出なのだろうなと思います。
感染予防と経済維持のバランス。
某知事の不確かな発言に、相変わらず脳みそを使わずに一気に振り回されるような状況はゆゆしきことではあるけれど、相変わらずそういうことに拍車をかけるマスコミにも、日本の報道の未来が暗く感じて、悲しい。
フォトジャーナリストを名指したこともあったのは、写真小僧だった若き日の昔の話だけど。
世の中を正しいと信じる方向へ動かしたいというのが報道であったはずなのに、いや、今の報道はあれが正しいと思っているのだろうか。
故郷が豪雨の被害にあった友人は、帰りたくともやはり帰れずもどかしい思いをしています。
年老いた親に感染すると困るから帰って来ないでくれとさえ言われているとのことで、なお切ない。
車でお墓参りだけして帰って来るつもりという人もいます。
わたしにはすでに、お盆という慣習が無縁になっているけれど、今年からはよりそういう傾向になっていくのかもしれませんね。
武漢コロナであちこちに大きな打撃があったけれど、国民を守ることより体裁を守りたい大臣のせいで、いわゆる社会福祉は人の生活を救わず、中小企業庁や経済産業省が事業者を速やかに救っている現実を見ると、国は民を救う意識がないと見るべきか、まだ救いがあると見るべきか。
正しい姿を教えるのではなく、自分がどう判断するかの考える習慣や、データを示していくのが教育の役割でもあります。
教科書だけではなく、マスコミ報道だけではなく、世界の様々な事実に触れる機会を作ったり、考えたり学んだりすることが楽しいと思えるように、決して考えることが面倒臭いなんて人間を作らないように、わたし自身も精進していくことを怠らない。今は武漢コロナのせいで、スーパービジョンやコンサルが受けられないけれど、こういう時こそできることを粛々とやっていこうと足掻いている今日この頃です。