受験と仕事は似ている

友人のところは早々にあべのマスクも定額給付金の申請用紙も届いたというのに、我が家はどちらもまだ未着💧
いつになったら支援してもらえるのでしょうねえ。と思っていたら、やっと今日申請用紙が届いたので、早々に出してきました。アパートの更新に間に合うといいなあ。
そろそろぼちぼち、お仕事もいただけるようになってきて、自分自身も新しい方向性を模索し始めて、今年こそはとせっかく貯めた引越し資金を切り崩してなんとかやっていますが、さてさて。まあ、武漢コロナのおかげで、休みはやっぱり必要だとも痛感できもしたのですが(^-^;食生活もまともになりました💦
今回の全国的、全世界的な武漢コロナウイルス災害で明確になったのは、対応や支援がどれだけ迅速になされるかというのは、国、自治体によって様々であり明暗が分かれ、同じ都道県内でもまちまちだということ。これは、長によるものもあり、これまでの意識の持ち方によるものでもあり。
今までの甚大な自然災害でも、本当に必要な重大な被害地域には支援が届くのが遅かった。災害時には物理的に無理な場合もあるけれど。

公務員時代、つまりは気象庁時代、限られた時間と限られた僅かの予算内で終わらせる、ということの繰り返しでした。「限られた」が無茶なことも多かったですが、完璧でなくとも出さねばならない、ということは、プレッシャーでもありストレスでもありました。もっと時間があればもっといいものができるのに、もっとお金があればもっといいものが作れるのに、と不満を抱えて、出来上がったものにちょっぴり悲しかったこともありました。けれど、限られた中で出来るだけいいものを提供して要求に応えなくてはならないということが身にしみました。業務の開始や継続を、滞らせるわけにはいかないので。
満を持してという言葉もあるけれど、そんなことを悠長にやっている暇は無いのです。だから、出来るだけ満足に近いものを出せるように、日々努力をして力を貯めるのです。
それは今も同じだったりしますね💦

受験も似ています。

もう少しあればできるんだけど、とか、やればできるけど今はやる気が起きない、とか、どうしても無理、とか言う人がいます。どうしてこんなことまでやらなければいけないんだと言う人もいます。
確かに、今の日本の受験はおかしい。
勉強したいことを勉強できる機会を得ることすら難しい。それはおかしなことです。
けれど、求められていることをやらないのでは、もし入れたとしても、既に身につけているべきものがなければスタート地点に立っていないことになります。
時間は限られていて、その中で出すことができる自分の最大限を、自分で認識することは大事です。自分がこの限られた期間でできることをうけとめることも大事です。
そのためには、どれだけできるか必死にやってみないとわかりません。
できない自分を受け入れることが嫌で、努力をしない人がいます。どこまでできるかやってみないことにはわからないこともありますし、そもそも絶対できないことをできるようになることは無いのです。
追い詰められればできるのか、とことん自分のペースがいいのか。
自分に合っているやり方やできる範囲を知っておくことは、仕事でも大事なことです。
限られた時間と予算で求められている成果物を出す。
できるかできないか、努力すればできそうか。他の道はどれか。
受験なんか、できないことをやれないからと嘆くようなものではありません。自分がやりたいことができるルートを探し、自分が楽しくやっていけるところで学べば良いのです。やりたいことにたどりつくための道はいくつもあります。それを探すことが大事です。偏差値だの知名度だの、儲けたい受験業界が作ったランクなんかに振り回されて、本質を見失って、大学にいく意味が無くなってしまいます。

発達障害の子達も同様です。

そのままでいいから、とか、才能があるはずだからのびのびさせるのがいい、とか、言葉だけは立派な人がいます。その子がこれから生きていくために必要なことが抜けているのです。その子の得意なこと、能力をのびのび広げてあげることには、それをやりきる覚悟や努力が必要なんです。大抵の場合、親がいなくなっても生きていくための必要な術を見つけることが大事になってきます。仕事をしてお金をもらうということは、求められたことを時間内にやれるということが必要になります。

限られた時間内に必要なことを最大限やり尽くす。
どんな場面でも必要なことです。


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