怨霊は存在し、そして感染症も存在する?
強い怨念を持ったまま亡くなり、その念があまりに強いため、現在もときどき祟りをおこす。そのような怨霊の代表格として平将門が有名です。
なぜ将門は現代まで祟る怨霊になったのでしょう。それはおそらく、当時の人が将門に対して申し訳ない、という気持ちを持っていたからではないでしょうか。当時も、現代の人たちにも、将門に対してすまないことをした、という気持ちが強くあり、それが長く現代までに続く「鎮魂」の動機なのではないかと思います。
見えないものを見てしまったり、なにかを「ある」と考える理由は、ひとの気持ちや感情的なものに起因することが多いのかもしれません。
「さすがに感染症は実在するでしょう。」2020年の春ころ、コロナ騒動が開始されて2か月くらい経ったとき、そのころ受講していた数学の個人講義で、先生はそう言いました。先生は数学が専門でしたが感染症の知見も少し持っていて、「乳幼児や若い人、特に10代は重症化しないのでほとんどリスクはない」と、非常に有益な話をしてくれました。
乳幼児や若い世代が感染症で重症化しないのは、常識とも言っていました。ですが、メディアや政治家はなんと言っていたでしょう。
結核はいまでもちょっとこわいとされる感染症のひとつです。いまではほぼ治ると考えられますが、それでも感染していると分かれば隔離して治療が必要とされています。もちろん、結核菌の存在を疑うなどという話は前代未聞かと思います。
これに対して、「保菌者」という呼び方があります。つまり、菌を持っているだけで病気(症状)を発症していない、という話です。
これはいったい、どういうことなのでしょう。私たちの「常識」とあまりにかけ離れた話のように思えます。著者は続けて、北京で出会った結核患者さんの話をします。
いったい、どこでどのような議論が交わされているのでしょう。病気、感染症、そしてわたしたちの健康(管理)はどのように扱われようとしているのでしょう。
無料で読める、大変良い冊子です。
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