試合嫌いが全国大会出場を決めるまで①

こんにちは。シキです。

かねてより、私は試合嫌いを公言しています。知らないよそんなのという方はぜひ過去の投稿をご覧になってください。試合に対するモチベーションはギリギリだったし、本当に相手に失礼だなと思いながら自己嫌悪に陥ったりしていました。そんな私ですが、実は1回だけ全国大会に出たことがあります。そんなバカなと思うでしょう。私も思います。けどガチな話で、心身ボロッボロ状態でなんとか全国への切符を手に入れました。

今回は、そこにたどり着くまでの話を時系列順にお話しようと思います。あんまりにも長いので、抜粋しながらのお話にはなりますが、お付き合いいただけますと幸いです。

※若干フィクション入ってるのと、記憶が曖昧で真実ではないことも書いてたりします。ご了承ください。

1.高校1年生、夏合宿

この話を始める前に、1年の春先のお話をさせてください。実は私この時点で入部と休部が決まっていました。原因は腰です。腰の筋肉に傷が入り、それはもう激痛で歩くのがやっとの状態でした。くしゃみをしようものなら数秒その場から動けなくなるほどの痛みで、花粉症の私は地獄の日々を送っていました。治療の甲斐あってなんとか復帰したものの、先生や部員との関係は微妙な状態になりました。その上での夏合宿が始まります。

3つぐらい合宿に参加したんですけど、今回はそのうちの1つについてお話します。理由は一番記憶が鮮明だからです。どれも超絶しんどかったんですけど、残り2つはいろんな意味でしんどすぎて記憶がありません。

福井で行われたその合宿は、確か1泊2日だった気がします。初日は昼からで、2日目は朝練から始まりました。初日から引くほど練習したのですが、こんなのは序の口でした。個人的地獄は次の日の朝練です。

私の学校は効率的な練習メインだったのと、勉強との両立を推してたので、朝練はおろか2部練習もありませんでした。なので朝練はとてつもなくキツイ。浜辺まで軽いランニングをしたら、浜辺でひたすらランニング周回。私にとってこれ以上の地獄はありませんでした。何を隠そう、私は走ることがとても苦手です。体力が1ミクロンくらいしかないからです。死に欠けました。

最後にさらなる地獄が待ってました。浜辺馬飛びです。まぁ馬飛び自体は10分耐久をよく部活でやってたのでいいのです。問題はシチュエーションです。ただでさえも足のキツイ浜辺。そして私は並び遅れて、気づいたら男子重量級ゾーンで馬飛びしてました。背が高いから当然馬が高いし、私の背中を飛ぶ方々の重量もえげつない。死を感じた。男性の方々は私を気遣ってくださって、頑張って低く早く保ってくれていたのですが、やはりキツイのはキツイ。というかきつくさせてすみませんでした。

合宿所に戻ったヘロヘロの私たちを待っていたのは、バナナとおにぎりでした。そう、朝ごはんです。朝イチ走りこんだ私たちの胃袋は死んでいました。気持ち悪いのです。何をみるにも気持ち悪いのです。しかしこのとき、私には予感がありました。

「この朝ごはんを食べなければマズイことになる気がする」

そう感じた私は、ご飯を胃に詰め込みました。この予感は見事に的中します。午前練習が終わる頃、私はぴんぴんしていたのです。理由は、エネルギー切れが起こらなかったから。朝ごはんを無理やりにでも食べたことで、朝失ったエネルギーを補充することができていました。逆に、気持ち悪いと朝ごはんを抜いた選手たちは、全員エネルギー切れを起こして、休憩に入るなりバタバタと倒れていきました。ご飯の大切さを学んだ私たちは、昼ご飯をありがたくいただくことができました。

残りの時間もなんとか乗り切り、私の地獄の合宿が幕を閉じました。今でも覚えているのですが、帰り道に先輩と二人で撮った写真の顔が双方死んでいて面白かったです。

2.高校1年生、冬合宿①

これがメインディッシュです。私の高校生活で一番記憶に残っている合宿です。死んでも忘れないと思います。いろんな意味で。

柔道の世界では、錬成会という、色んな学校が集まって練習や試合を行う会が存在します。中でも大きな練成会がいくつか存在して、私たちは冬に奈良県天理市で開催される練成会に毎年参加していました。柔道のことを多少知っている方ならどこで開催されているかお察しでしょう。

組み合わせ通りにひたすら練習試合を回していくシンプルな練成会でした。強さに合わせて学校を分けて、その中でぐるぐる回ります。私の学校は人数が少ないので、他の学校と合同でチームを組んでいました。さらに、夏合宿で仲良くなった学校のチームにも混ぜてもらって、私は2チーム梯子することになりました。ここからが地獄の始まりです。

2泊3日。まず初日。一番の地獄でした。何が地獄だったかというと、「何もさせてもらえなかったこと」です。

1試合目を無難に終えてしまった後、しゃがんだ瞬間に電流が走りました。右膝の裏筋がおかしくなったのです。痛いとか以前に、なぜか緊張して膝が伸ばせなくなりました。痛いわ立てないわで冷や汗をかいていると、先生が目の前にやってきました。

「なんやねんお前。痛いんか?せやったら下がってろ。もう今日試合出んな。そんな態度のやつは試合出んでええわ」

?????

皆様の脳内にはクエスチョンマークが浮かびましたでしょうか。私の脳内には100個のクエスチョンが浮かびました。まだ朝の9時です。試合は夕方まで続きます。そんな中、一切の試合を禁じられた私。不幸というかなんというか、先生が立ち去った直後に膝が治りました。はい、地獄です。

私はひたすら試合のスコアをつけたり、タイマー係をしていました。他の学校の先生にはとても気を遣われてしまったのが今でも申し訳ないです。しかしやってしまったものはしょうがないと思い、見ることで吸収しようと必死にみんなの柔道を観察していました。

そして一日の終わり。夜にもう一人の先生が私たちの宿泊部屋にやってきました。その先生は、上のクラスに行っていた先輩の方について行っていました。私の今日の話を聞くなり、先生はとんでもない形相になりました。

「お前何しに来たの?なぁ?」

今だから言うのですが、本当に心底怖かったです。これが理不尽というものなのかと高校1年生にして学びました。先生からの言葉を受け止め、必死に涙をせきとめていました。すると、追い打ちをかけるような言葉が飛んできます。

「なんや、なんか言いたいことあるんか?あるなら言えや」

「ないです」

私はそれだけを絞り出しました。そして先生が部屋を出た瞬間、大号泣しました。先輩や同期、中学生の後輩になだめられながら、過呼吸になるまで号泣しました。そしてその日は、ぐっすり眠りました。泣き疲れです。

正直、この日以上に悔しい思いをした日はないと思います。怖かったし、痛かったし、辛かったし、悲しかった。でも、それでも明日頑張らなければいけない。その反骨精神が、今も役立っているように感じます。

まぁいい風に言ってますが、指導としてはかなりグレーなラインだと思うので、個人差があると思った方が無難だと思います。私は小学生の頃体罰がひどかったので、耐性があるだけだったんじゃないかなと思います。

ではでは2日目は、次回またお話したいと思います。この合宿のお話は非常に濃いので。ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回、よろしくお願いいたします。

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