再びの大学受験
十二月に一か月だけハム工場でアルバイトをしていたので、年明け一月に入ってから、ようやく本腰を入れて受験勉強を始めた。
浪人生になってからあまり勉強はしてこなかったけれど、その勘を取り戻すため、去年通っていた予備校の教材を使って必死に勉強した。日芸だけを完全に視野に入れて、その問題の出方を徹底的に研究した。
二月に入り、ついに入試の日を迎えた。まずは日芸ではなく別の大学を受けた。自分の今の実力を測るため、そして大学受験の雰囲気に慣れるための対策。約四カ月ぶりの試験だった。一番最後に受けた某予備校主催の全国模試では、A判定の学校だ。それに、今の学力でも十分自信があった。
そして、受けて、手応えも感じた。この一年、勉強はそれほどしてこなかったけれど、今の学力でも、十分できることが分かった。
しかし、その結果は、不合格。自分でもかなり意外だった。完璧に近い出来だったのだ。まず落ちないだろうと思っていた。
落ちたことは意外な感じがしたけれど、手応えを十分に感じられたので、大して気にもしなかった。何しろ、これまで日芸の試験対策だけをしてきたのだ。去年の雪辱を果たしたかったから、今年受験したのだ。
そして、次の試験。それは今年の第一の秘策でもあった。
日芸の映画学科を受けたのだ。日芸の中で、最も難しいと言われている映画学科の試験を受けて、日芸の出題傾向に慣れておこうと思った。
(ちなみに、この当時、日芸の映画学科は、早稲田の偏差値と同じくらいと言われていた。それくらい入学が難しいと言われているところだった)
雰囲気に慣れるために受けるので、そんなに緊張はなかった。気楽に受けられた。
そして、手応えは十分だった。ほぼ、実力をそのまま発揮できた。快心の出来だ。七割以上取れたことは間違いなかった。あの映画学科一次試験突破も、可能性があると思った。
が、一次合格者を見に行った時、やっぱり落ちていた。当たり前だ。それこそ、百点だと思えるくらい完璧にできていなければ受からないのだ。
元々入れるとは思っていない。偏差値的に見れば、早稲田に匹敵するのだ。今まで大して勉強してこなかったぼくが入れるはずもない。
けれど、手応えは十分だった。それも、動揺せず落ち着いて受けられた。
あと一つ、残るは本命だけになってしまったけれど、合格のイメージが湧いた。もしかしたら、いけるかもしれない。
親からは、別の学校も受けてみた方がいいんじゃないかと言われたが、親が希望する学校(学部)には興味がなかった。親の言葉は気にしなかった。
文芸学科の試験日が近づいてくる。
試験前日は東京のユースホステルに泊まる予約をしていた。去年の失敗を糧にして、家から試験会場に向かうのではなく。大学受験のために上京して試験期間中、ホテルに泊まるというのはよく耳にしていたので、それを真似てみたのだ。それだけ、試験を落ち着いて受けることにこだわった。
ユースホステルに泊まり、試験当日。寒さと、いくらかの緊張で、吐き気を覚える。でも、家から向かうよりも清々しい気持ちだった。
試験会場に着き、心落ち着ける。「ぼくは、ここに、受かるために来たんじゃない。落ちることは分かっているから、精一杯頑張れればそれでいい」と。
そして、試験開始。まずは英語。去年よりか圧倒的に英文の内容が分かった。
そして国語。国語は、古文の問題次第だった。古文だけなら東大も受かるほどの学力だった。古文ができるかできないかで全てが決まる。
その古文の問題が、何とありがたいことに、すごく解きやすい問題だった。国語も、快心の出来だった。いくら悪くても、八十点以上はいくだろうと。
試験は終わった。
七割は受かる自信がある。
そして一次合格発表の日。
自分の番号が、そこにあった。
その瞬間、嬉しさが湧くとともに、すぐに二次試験へ向けての緊張感が生まれた。
でも、一次試験さえ受かれば、もう悔いはなかった。もうあとの二次試験なんてどうだっていいと思ってしまった。
ちなみに、二次試験は、作文(創作文)か論文、どちらかを選んで書く。そして面接。
創作文の練習は、宮沢賢治の童話を読むようになってから、童話を書くようになっていて、文章力を上げていくことをしてきただけだった。
二次試験は自信がなかった。しかも、合格発表の翌日が二次試験だ。正直、もうダメだろうと思った。
ところが、なんと受かってしまった! 一次試験と二次試験の両方を合わせた点数で合否が決まるから、きっと一次の点数がかなり高かったのだろう。ちなみに、二次試験の創作文は簡単な童話を書いてみた。それがどういう点だったかは知らないけれど。面接も無難な感じで終えることができた。二人の試験官が満足そうに頷いて終わったから印象は悪くなかったのだ。
こうして、大学進学する道が切り開けた。自殺への計画は少しくるってしまったが。
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