坊さんと結婚するっつって父が泣いた話

今年の年末年始は実家に帰ることにした。

ここ数年、お坊さんと同棲という特異な状況もあり、年末年始大忙しのお坊さんを尻目に我が家を数日間空けるという勇気は結局なかったものだ。

普段は都心に住んでいるが、我が実家は北の地にある。年末は必ず雪がちらつき、新幹線までも止まったりするもんだから、此度もそんな感じで行かない理由があればなぁ、なんてうっすら思っていた。

腰が重かった。数年振りの年末に実家に帰り「ひとり息子のお寺に嫁ぎます!」と宣言できるほどわたしの両親はわたしを非常識な人間には育てなかったし、昨年結婚式を挙げた妹の入籍のまだのまま、父になんという非道い仕打ちだと心の奥底ではわかっていたのだ。

せめて、せめて、名の知れた大寺の息子であればよかったものを。

いや、それもそれで面倒だと父が難癖をつける。
「ダンカサンガー」と鬼の首を獲ったように騒ぎ立てる父の姿が目に浮かぶ。結局なんだって男親というものは難癖をつけるのだ。

年下と結婚するといえば経済力に言いがかりをつけ、年上といえば「騙されるな」と騒ぎ立てる。
その危機管理能力を特殊詐欺に対し向けてもらいたい。どうせ父は欅坂っぽい誰かからDMが来ればすぐに騙されるにちがいないので、ロマンス詐欺のニュースを目にするたびに父のふにゃりとした笑顔が思い浮かぶようになったのだ。
とおさん、元気かなあって。


具体的に結婚の話をし出したのはここ数週間だ。お坊さんが住職に結婚の話をきちんと持ち出したというので、わたしも帰省の際にきちんと親に報告することになった。
(ちなみに母親には報告済み。若手アイドルの推し活に熱心な母親はしょっちゅう東京に来るし、お坊さんにも何度か会っている)


紅白歌合戦が佳境を迎え、演歌熱唱中のけん玉がギネス記録を迎えた頃、わたしはまだ上機嫌の父親に結婚のことを言い出せずにいた。

父は顔を赤くしながらテレビを見据え、あいみょんの良さについて声高に語っている。「椎名林檎はいい女やなぁ」からの落差。結局世の中のオヂサンたちはギター1本でフォークを掻き鳴らす若い子に惹かれつづけるのだ。ここまで世のおじさんたちを惹きつけるあいみょんの魅力とはなんなのか。我々はその秘密を探るべくアマゾンの奥地へと向かった。


思えばとおさん、色々あったよな。
二人娘がいるのに長女は国家資格持ちで働き出したと思ったら、急に名古屋行って東京行って、たまに気が向いたら実家で飯を好き放題食って、フーテンの寅さんみたいな生活し始めて。ある時はキャバクラでふんばり、あるときは洋食屋で名物のハンバーグをさばく。
住む土地が変わるその度に男が変わってるんだろうなんて、デリカシーないお父さんのいかにも言いそうなことだけど、そんなこと言えば負けだと言わんばかりに、あんたはいつも困った顔しながら、私に何にも聞かなかったよね。


テレビに出てくる子役見つけちゃあ、オレの子の方がかわいいだのなんだのと、そんなことをLINEで何度も教えてきて、世の親ってのはなぜにこんなもんなんだと、何度も考えましたよ。


いいことしか思い浮かばないよ、それなのになんでだろう、わたしは今からこのお父さんに、悲しい思いをさせなきゃいけないんだ。




(ここで書くのを実は4時間ほど中断した。新幹線書き始めたコレは時速110kmで過ぎ去る田園風景にあまりにもマッチし過ぎて、脳内で流れた『なごり雪』で涙が止まらなくなった)


紅白も終盤に差し掛かり、今年復帰を果たした西野カナが歌い出したところで、頬の緩まった父におずおずと切り出した。

「あの、そういえば私、今年結婚するよ」


父の手が止まった。自分で言っといて「なにが『そういえば』なんだ」と心の中でハリセンを叩く。それが本題のくせに、なんでもないことのようにスカして言うのがわたしの悪い癖。
おとうさん、ごめんなさい。なんだか今日は顔が見れないよ。歯磨きしてないのに「した」とうそついて、布団に篭ったあの日以来だよ。


「  え ゛  」

数秒ののちに父から発せられたのは言葉ではなく、濁音。
珍しく開けた2本目のビールをしかと握りしめ、背景西野カナのまま固まっていらっしゃる。


復帰を果たした西野カナの歌声は、全く錆びることなくうちの父の作り出した間を彩ってくれた。

おとうさん、ごめん。南こうせつの時に言えたらまた、ちょっと雰囲気違ったかもしれない。小さな石鹸カタカタ鳴らして、二人で行った横丁の風呂屋の情景を思い浮かべられてたら、少しは慰みになったかもしれないね。


ふーん、そっかぁ、と父がつぶやく。
ヤダよこれは。長年親子やってたからわかる。納得いってない時ほど「そっかぁ」を繰り返すんだうちの父は。


それを言いにきたん?と続ける父に、「いや、それもあって」と真向かう気になって父の顔を見た時、久々に見た。

父の涙を。


厳密に言うと泣いてはいない。
目の端にしっかり水滴を留めたまま、それを垂らすまいと目を真っ赤にした父の顔をわたしは初めて見た。


それはどこの誰かと父が切り出すまで、しばし時間がかかった。
ちょうどタイミングよく紅白が終わり、「ゆく年くる時」が始まったころ、相手がお坊さんであることを打ち明けた。


しめた、と父の表情が語る。
しまった、と思った。


テレビ画面を指差し父が騒ぐ。
「こんなお寺を隅から隅まで掃除して、大変だぞ?ほら見てみろ、こんなにたくさん参拝のお客さんもきてるんだぞ」
「能登のお寺なんて大変だぞ、なんにもなくなったのに、伝統を引き継ぐって言って奥さんも頑張ってるんだ、まだお寺の鐘だって倒れたままなのに」
「檀家さんとの付き合いもあるぞ、奥さんがどこそこ行って、何買ってたまで見られてるんだぞ、皇室の奥さんに嫁ぐ気にならなきゃ、君は皇室に嫁いでいいくらい可愛いけどな、ガッハッハ」


父がこんなに喋るところを久しぶりに見た。
心なしか嬉しそうだし、目にたたえた涙はギリギリまだ溢れないままでいる。
そんな反撃なんて可愛らしいもんだ。だって父は、相手の家がどこの寺の何者か、顔がどんなふうかまで全く知らない。一般論で反撃しているに過ぎないし、そのほうがこういう、子煩悩の父には丁度いいのだ。

言うがいいさ。娘の選んだ決断まで、本気で無下にする気は、この男は毛頭ないはずだから。


大丈夫よ、おとうさん、元気にやってます。生活だってなんにも変わらないし、嫌だったらさっさと離婚しますから。

そう告げると、父の顔がパッと輝いた。


そうかそうか、離婚すりゃええ!とすっかり父はいつもの調子を取り戻した。結婚もしてないのに離婚で盛り上がるなど、なんたる不謹慎だとも取れるが、娘を持つ男親の振る舞いとして、これくらいは許してやってほしい。


寺の嫁になること、それ自体にはぶつくさ文句を言っていたうちの父であったが、一連の文句も悪態も、人生に限りあるうちの行事のひとつとして受け取って頂けたように思う。


ごめんなさい、おとうさん。
わたし、お坊さんと結婚します。


何度だって父は同じ話をする。
わたしが昔やっていた家での人形劇や、父が幼いわたしをからかったらわたしが泣いて、母親にゲンコツくらった日のこと。父に手を伸ばし抱っこをせがむ、小さかったわたしのことを。


そんな娘が寺に嫁いだと、彼はこれから先何度だって、自嘲気味に人に話すのだろう。大変な道を選んで、と、娘の愚かな選択を笑い種にするんだろう。


そんな不器用で愛おしく、器のちっさい生き物なのだ。父親ってのは。


東京に戻る新幹線の改札で、父はずっと手を振っていた。
昔より小さくなったように見えるその姿。
滞在中、幾度となく「そ、お、っかぁ」と何度も繰り返していた。


なんだって文句を言うんでしょう、あなたは。
それならお釈迦さまのお膝元に嫁いでやりますよ。


何年後かにもきっと、父はずっと酒の席で繰り返すんでしょう。
オレは反対した、寺の嫁なんてと皮肉混じりに笑うんでしょう。



受けて立つよ、おとうさん。


今日この日を忘れないために、急ぎ書き記した備忘録。

いつまでもわたしが、忘れないために。

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