たまごっちに依存してみる(Digital Friends of the World)
そのとき私は過食に走っていた。
「ストレス解消法」というのは、ひとそれぞれ、様々あると思うが、私の場合、何かに依存する。買い物、食事、SNS……。
環境の変化を控えたプレッシャーで、2月は買い物し過ぎ、3月は食べ過ぎていた。(5万の赤字を抱え、かわいいワンピースのチャックが上がらなくなった)
そのころ並行して依存していたSNSで、ふと見つけたのが、「たまごっち」。
20代の子が「たまごっち」を夢中でかわいがる様子がタイムラインに流れて来て、なんだか意欲がわいてきた。
「たまごっち」に愛情を注ぐ、すなわち依存すれば、ストレス解消法のひとつになるのではないか。
その数日後には、現代のたまごっち、「たまごっちスマート」をヨドバシカメラで購入した。すでに赤字なのに1万弱の買い物をして大丈夫なのかという声は無視する。
私は小学生のとき、「第2期たまごっち」を持っていた。友達同士で流行っていたし、キャラクターとその名前をいまでも覚えている。それゆえ、「たまごっちスマート」のことを、すんなりと受け入れられた。
「たまごっちスマート」を買って感動したのが、機体に「Digital Friends of the World」と書かれていることだ。
画面の中の友達。
私が友達だと思えば、ドット絵も友達なのだ。
というか、実際のお世話では、「友達」の間柄以上のお世話をしている。
朝、起こしてあげる。定期的にお腹が空いたと訴えてくるので食事をさせる。たまに好き嫌いを見せる。トイレ掃除をする。おやつや玩具で遊ばせたり、いっぱい撫でたりして、ご機嫌取りをする。夜も「眠れないので撫でて」と「ぴえん顔」をするので、画面をこすって眠りにつかせる。
基本、これらの繰り返しだ。
生まれてから大人になるまで(そして結婚して家を出ていくまで)2週間弱の体感だ。
結婚の話題が出た。
私が初めて育てた初代の子は、まめっち(昔のたまごっちだと最上ランク)に成長し、穏やかな毎日が続くと思われた。
しかし、結婚相手を連れて来て、それに承諾したら、卵を残して出て行ってしまった。
出て行ってしまった。
初代まめっちのことを責める気持ちはない、説明書もネタバレもよく読まないでいて、このあっさりとした別れ。
いまでも、このときの心のうちはよく整理できていないが、子どもが独立していくってこういう感覚なのだろうなと思えて、良い経験となった。
結果的に、冒頭に書いた私のさまざまな依存が、現在「たまごっち」により解決されたかと聞かれると、はい、ともいいえ、とも言えない。
理由としては、それと同時期に一人旅に出てストレス自体を一時的に減らせたこともある。一方で、ストレスの原因のものごと自体はしばらく続く。
それでも、「たまごっち」を買う前と買った後での変化を考えると、SNSの時間を抑えられていることが挙げられる。触り方(手で持ってスワイプする)や、定期的にデバイスの様子を確認したくなるところが似ているかもしれない。
これから先、ほんとうに忙しくなるので、ストレスに負けず、なるべく癒しを多く持てる生活を送りたい。
その点では、「たまごっち」のネタバレを解禁して成長をコントロールさせ、新しいキャラクターに出会ったり、機嫌を取りまくって実績を手に入れるなど、私が楽しみたい「やりこみ要素」がまだ残っている。
これが「依存」といえるかどうかは微妙だが、<やりこみのストレスには注意して>、SNS延々スクロールの代替案に成長していくと良いなと思う。