自己紹介と自分語りへの苦手意識
日記というかエッセイというか、しょうもないネタツイート以外の長文も書いてみようかなと思ってnoteを始めてみた。
自分と同じような苦しみとか、モヤモヤしたことを持っている人に向けて公開し、苦痛を頭でこねくり回したうえサーキットで100周ほどさせてバターにしているところを見て貰おう(あわよくば驚かせてその顔を眺めよう)という試みだ。
ついでに本当はこう思っていたんだなとか、後々読み返して自分の思考の偏りとか歪みを探すためでもある。そんなもん、見つけて治せるものでもないのだが、一応。
他の人のnoteをざっくり見て回ってみた結果、大抵の場合は自己紹介から始めるらしい。書く目的は先ほど説明したが、人となりとかバックグラウンドとかそういうものを理解してからだと読みやすいのかもしれない。ものぐさなので、その手のページはすっ飛ばしていたがそういうもんらしいので先人に倣うことにする。
今回はあくまでポーズであり、あまり面白い経歴もないので、読み飛ばしていい。またしょうもないことを書いてるとき見に来て欲しい。
私はねこである。夏目漱石ではなく、インターネット上でねこを名乗り、顔を洗ったり近づいてきた人間ににゃごにゃご言って可愛がってもらおうという魂胆のバケモンである。また、猫ではなくねこである。玉ねぎもチョコもしょっぱいものも食べれるので、おいしいものはねこにもください。
と名乗ったものの、名前は別にねこではない。人によっては忘れている可能性があるが、実は志木という名前がある。埼玉県志木市と特にゆかりはない。また思い入れもないので、ねこでも志木でも好きに呼ぶといいと思う。バケモンなので真名を呼び当てると死ぬかもしれん。
さて、自己紹介である。
わざわざ紹介するようなことは全くない平凡な人となり、ねことなりだと自認しているが、周りは多分そうは思っていない。でも、別に世間で言う苦労した人ほどの波乱万丈な生でもない。それなりに苦労をし、体が弱いために日に10km以上歩くとほぼ確実に熱を出す体質がある程度の命である。健康には自信がない。あーでも骨は元気かも。折れたことないから。
頑健さや体力はないが、骨密度には自信のあるねこである。
ここまで書いておいてなんだが、こうやって煙に巻く程度には自身のバックグラウンドを語ることが苦手である。だってめちゃくちゃ薄っぺらい人生だからだ。過去の記憶の7割か8割くらいは忘れているので語れないのだ。それってほぼ記憶喪失では?と思われるが、誇張ではなく忘れている。
プロフィールを並べて初対面の人間に周知する意味での自己紹介は別に苦手ではない。ただ、どういう歴史を辿ってどういう思考をしてきたのかを開示するのはとても苦手だ。私は小説を書くのだが、創作のキャラクターですらその手の説明はできるだけ省きたくなる程度に重要ではないと思っている。が、多分世の中はそうではないんだと思う。創作をする人達と話していて最近知ったことだ。
その苦手意識というのも、家庭環境の悪さや、前述した忘れっぽさ(割とそれに救われてはいるが)によるものだ。私だけではなくて、似たような理由で自分の背景の話をするのが苦手な人は結構いるんじゃなかろうか。忘れてたら話せないじゃんねえ?
私は東京に生まれ東京で育った。両親も健在で姉もいる。かなり環境に恵まれているように見えるがもれなく貧乏で育ちも悪い。SNSなどで健全な家庭に生まれ健全に育った人を見て初めて自分の家が「普通」の家庭とは違うのだと知った程度には我が家はいびつな家族だったし、かなりろくでもない部類に入るためあまり語りたくない話題に入る。自分について語るのが苦手なのはこれが大きい理由だ。
なので、数少ない友人の実家にお邪魔したとき、ご両親と話したり部屋を見るなりして、なるほど大事にされてきた人はこうなのかと思うと、どうにも自分の育ちの悪さやみじめさに恥ずかしくなって口を噤んでしまうのだ。過去の傷というか、欠落というか、コンプレックスなのだろう。臆病さとか、自尊心の高さとも言える。
一人暮らしとなった今はそれも少し和らいだが、やはり人に聞かせるにはあまりに人生の汚点すぎて恥ずかしい。家族が大事で好きで、仲良く過ごしている人を見るとああいいなあと思う程度には家族関係に大きなわだかまりと困惑を抱えている。
家族仲だが、お察しの通りあまり良くない。親代わりとも言える姉とは仲が良いが、父も母も好きかと言われるとコメントを差し控えたくなる。そのくらい馬が合わないというか、親と言われてもあまり実感がない。フォロワーや友人の方が親より私を知っているし近しいまであると思う。とりあえずかなり距離の遠い間柄と思ってほしい。
家族仲がいい人には想像もつかないことかもしれないが、色々思い返してみても親の好きなこともものも経歴もほとんど知らない。まともに会話した記憶がないからだ。親もあまり自分を語らない人達だったのかもしれないが、多分私にあまり興味がなかったのだろうと思う。
だから、私も何かを伝えようと思って親と会話をしたことはほとんどない。言葉が通じる人達だと思っていなかったのか、話しても聞こえないと思っていたかのどちらなのか、今となっては不明である。血は繋がっているし、行動パターンくらいは読めるが、趣味嗜好や人となりを家族なのに知らないのはそのためだ。
仔細は省くが、父も母もいわゆる毒親のカテゴリに入る両親だと思う。遊んでもらった記憶も朧気だ。体罰もあった。そこまで壮絶なものでもなく、粗末にされたというほどではないが、一般的な基準に沿うレベルで大事にされたとも思わない。必要最低限の感覚だ。もしかしたら本当は血の繋がらない他人なのかもしれないと思う程度には家族についての記憶が少ない。近況も、あまりよくは知らない。うっかり死んでいたら面倒だなとは思う。
そんなわけで私にとっての人間は、姉を除くと外界にしかいなかった。けれども社交的な方でもないので、子ねこの時分はゲームをしたり、パソコンに向かって見知らぬ人とチャットで話したり絵や小説を書いたりしながら育ってきた。なので、オタク歴はほぼ年齢だし友達は少ない。おそらく常識もあまりない。これ書いてて悲しくなってきたな。
でもまあ、ネットで会った人はたいてい善良で、悪いことの方が少なかったように思う。古のなりきりチャット文化は面白かったし、今の創作に活かされている。運営していた個人サイトから知り合った人は都内に来れば遊ぼうと誘ってくれたり、相手の地元へ一人夜行バスに乗り県外まで会いに行ったりもしたし、運よくその手の犯罪にも巻き込まれることはなく過ごした。インターネットがなければきっと、私の性格はもっと具合の悪いことになっていただろう。家族以外の引きはかなり良い方かもしれない。
学生時代のことも、あまり覚えていない。特に楽しくなく、話の合う相手もいなかったように思う。実際縁も全て切れていて、名前もぼんやりとしか思い出せない。でも、嫌々受験し受かってしまった大学では気の合う仲間を得た。思えば彼らとはもう10年以上やり取りをしている。なんとも得難いことである。家族以外とはまあまあ良い縁があるのだ。
そして何やかんやありつつ、遅まきながら数年前に生家(借家のため実質家はない)を出て今はポンコツな体を引きずり一人暮らしをしている。そんで知らんうちに両親は離婚してたらしい。いつ頃の話かもいまいち覚えていないし、感慨も特になかった。まあ、姉妹とももう大人だしな。今更だね、くらい。
そんなわけで、独立してからも特に不便は感じていない。むしろ狭い家に自室もなく暮らしていたので、自分の家に一人いて、好きな時間に食事や風呂ができる生活はひどく嬉しかった。一人暮らしはいいぞ。
まあ、何とかやっているの一言に尽きる。
ここまで書き連ねてみても別段面白味のない背景なので、やはり自分の歴史を語るのは苦手だ。面白いなと思う人はたいていその家族から面白いので、背景を聞いていて楽しい。自分にはそれがあると思えないし聞いていたらその薄っぺらい命にギョッとしてしまう内容だから、やはり今後も必要と思わない限りは口を噤むだろう。バックグラウンドが壮絶で面白いのは多分、物語のキャラクターだけである。
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