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選ばない奴に着せる服はない
私は服が好きだ。ファッションに詳しいわけではなくて、好ましいと思った服を自分が良いと思う形で着て、ああいいなと思うのが好きなだけなのでファッション好きではなく「服が好き」と自称している。
なんでこんなこと言い始めたかっていうと、どっかの誰かが「似合う似合わないじゃなくて好きな恰好していいなんて、鵜呑みにして馬鹿にされたら誰が守ってくれんの」(要約)なんていう絵がバズっていたからである。思い返すだけで腹が立つ。あと、ここ数週間のうちに他人を垢抜けてねえだ芋だなんだとうるっせえ奴が騒いでるトピックなので、ここはいっちょひどいインターネッツに思想の強いアンサーでもぶん投げてやろうと思ったからだ。お察しの通り私は令和生まれではない。年はけっこういっている。千葉滋賀佐賀。
長くなりそうなので簡単に私の答えを先に叩きつけておこうと思う。
「自分の好きな服を着るなら何を言われようとテメェでケツを持て」。自分の物差しを持つと決めたのなら、他人の悪意は自分で払いのける覚悟を持てと、一般的な流行の服も好きだし何かにつけああだこうだと指を差されがちなロリィタもゴシックもパンクも好きな私はそう考えている。私が好きに選んだものを笑われたら誰か庇ってよ!なんて、あまりに服をナメ腐った考えで腹立たしい。
上手い絵であればそんなクソッタレな価値観でもバズり許されるのなら、私は稚拙な文章でもそれを否定しようと思った。(引用やリプに否定意見もきちんとあったので、手放しに賞賛されているわけではないことは書き添えておく。)
服は着ないと逮捕されるし、TPOってものがあるし、当人の思想やら好き嫌いも反映されるものである。ヌーディストビーチを闊歩する皆さんはそうじゃないかもしれないが、裸の彼らは少なくとも「服を着ない」という思想を表に出しているわけだ。服を着るっていうのはそういうことである。社会と密接に関わりがあるが、私は専門家ではないのでその辺は詳しい人にでも聞いてほしい。
服には相応の場がある。だから政治家や営業職や固い職場の人ならばスーツを着るし、内勤やテレワークでゆるい職ならばオフィスカジュアルなりカジュアルな服でも許される。学生は揃いの制服を着て、スポーツ選手はユニフォームを着る。私たちは寝るときにだってパジャマ(ないしそれに相当するもの)を着るし寝るのに邪魔なものは脱ぐ。裸で寝たっていい。
とにかく服を着るときにはいつだって「いつどこに着ていくのか」がついてまわるのだ。だから装いに関心のない人にとっては毎日服を選ぶことは面倒事だったりするのだろう。私とて服は好きだがその気持ちはわかる。制服って楽だもの。
つまるところ、服を着ることで私たちは属性を判定されたり良し悪しを評価される。何とも煩わしいことである。服くらい自分の好きに着させろと私は毎日のように思っているが、社会ではそうもいかない。仕方がなく嫌いな服を着ている人間も多いだろう。
何なら私は学生時代の制服も嫌いだった。自分は肩幅がでかいのだが、通っていた学校のブレザーには時代遅れにこれでもかってくらい肩パッドが入っていたのだ。とにかく肩の部分がデカすぎた。嫌だなと思いながら毎日いかつい肩幅を更に増幅させ、機動学生ガンダムのまま通学していた。教室では大抵ブレザーは脱いでいた。デカすぎるから。
私の肩幅の話は置いといて、好きな服を着たいという欲求を私は肯定する。基準は人それぞれだとして、好きなものを好きに着るのが一番よい。だけどその好きを他人にこきおろされて簡単に傷つくくらいなら、その服を着るのはよしたほうがいいとも思う。好きで選んだ服に好きになった責任を持てないのなら、あなたはその服を着るに値しないのだ。美醜ではない、その気の持ちようが、だ。
無論、迷惑をかけていないならそんなことを言う方が悪い。それが評価に関わる職場とか冠婚葬祭ならともかく、好きで着ている私服にケチをつけてくる奴に問題があるのだ。当然だ。いいでしょ別に、俺がこれ着ててオメーに何か関係あんのかよ、という話である。
だが、それにも種類がある。基本的に好きで着ている服に物申されるときは二つのパターンがあって、うちひとつは先ほどのように「言いたいだけ」「そいつの性格が悪いだけ」であるが、そうではないパターンもある。
「その服を着ていることは圧倒的におかしい」場合である。おかしいと言っても、似合う似合わないの話ではないし、奇抜だからでもない。場に合っていないとか臭い汚いとか公序良俗に反するとかそういう方だ。すなわち、服そのものが無礼で他人に不快感を与えているとき。それを指摘してくれる人が近くにいるのならそれは幸福である。指摘をくれた人に深く感謝して粛々と改めた方がよい。また公序良俗に反している場合は粛々と法律に沿ってほしい。こういう場合は、好きかどうかよりも優先されるべきものがある。
先述した通り、服を着るときにはある程度守るべき文脈がある。あなたがそれを守っていて、なおかつあなたが着ている好きな服を否定されたとて、何か問題があるのか?
わざわざ物申したそいつの人間性には問題があるだろう。だが、似合っていないと言われて傷つくなら泣けばいいし、似合うように次から調整すればいいし、腹が立つなら何だテメーうるせえなこっちの勝手だろと言うか思えばいいだけの話だ。その言葉であなたの好きな服の美しさかわいさ素晴らしさが損なわれるのかというと、そうではない。
であれば「好きな服を着ればいい」と言う不特定多数の誰かの言説は、別に無責任でも何でもなくただの真理である。自分で選んだ好きな服なのだから、もっと責任と誇りを持ってほしい。好きを否定されたとき、それに抗うべきなのは服でも他人でもなく、それを選んだあなた自身だ。
好きだと思った服に他人が責任を持てなんて、恥知らずなことを言うんじゃない。
思想が強すぎてやばいインターネッツになってきたので、私はおやつでも食べて歯を磨いてクソして寝ます。ちなみに私に一番似合う服はチンピラみたいな柄シャツです。
肩幅デッカマンより