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note事始め
長いようで短い人生。noteに書くことに、希望を感じるーー。
こんにちは。(おそらく)人生折り返した、島野史己(しまのしき)です。
九州在住、医療関係者で、平日は患者さんに感謝されたり怒られたりし、週末は子どもと野球やキャンプ、といった日々を過ごしています。
ですが今年に入り実親が他界し、痩せた身体を弔いながら、いろいろ考えることがありました。
自分も親が亡くなるような歳になったのだ、とか、親は自身の人生をどう振り返ったのだろうか、といったことが巡りつつ、こうも考えました。
人生は長いようで短い、と。
そう、思いませんか?
私自身を振り返ると、永遠に続くかと思えるような長い日々もありました。
毎日同じ道をたどって学校に行き、同じ生徒と顔をあわせ席でつまらない授業を聴き、また帰る。その繰り返し。
働きはじめてからも、仕事の大変さはあったのですが、まあ同じようなものです。
しかし、単調な日々が少しずつ短く感じられるようになり、いまはもう一瞬なのです。気づくと一日が終わり、一週間が過ぎて、すぐ一か月、あっという間に一年、そしていまや人生の中間地点です。
厳格で近寄りがたかった親は癌を患いみるみる痩せていき、快活で屈託のない子どもたちはどんどん大きくなっていく。
「光陰矢のごとし」とは云いますが、まさかここまでとは…。ますます実感が強まります。
そしてこの先のことを考えると、流れはさらに加速するでしょう。何を成し遂げるでもなく、定年まで押し流される。しかし「人生百年時代」と言われる昨今、年数としてはまだまだあるわけで、その間、寄る年波、落ちる体力、迫りうる病魔ーーこれらが脳裏をかすめた時には、暗然としてしまいます。
ここだけ読むと、皆さんにも「暗い心持ち」が伝わってしまうかもしれません。しかしここで私は、失望を広めたいわけではありません。むしろ(大げさに聞こえるかもしれませんが)、noteの中には希望があるーー実際にnoteを始めて、そう感じてさえいます。
というのも、記事に何を描こうーーネタを探して、いざ書いたら「何か違う…」。そう感じて書き直して、繰り返すうちに時間は過ぎます。しかし同じ時間が過ぎるにしても、あの空疎な経過とはまったく違いますよね。私はこの最初の記事を書くだけでも、たしかに「充実」を味わえたのです。
そしてこの「創作の充実」を知るクリエイターがひしめきながら、競争原理(ランキング争いなどです)に毒されず、誹謗中傷に晒されず、楽しんで創作にいそしんでいるーーいいですね、noteは。
というわけで(すっかり前置きが長くなりました)、note界隈の末席をお借りしまして、これからアウトドアやらヘルスケアやら、子育て関連のことやらを書き綴りたいと思います。
自己紹介のつもりが、「ミドルエイジ人生論」になってしまいました(思いどおりにいかないのが人生ですよね)。いや、そもそも、皆さん最初はなぜ書くのか、自らのうちを振りかえるわけですから、少なからず人生論になる、のかもしれません。
今回はここまでです。最後までお読みいただきありがとうございます。
良ければ皆さんの「人生について思うこと」をぜひ教えてください。
それでは、また。
*本コンテンツの画像は生成AIツール (Canva AI) を使用して作成しました。
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