幸せにだけは、なりたくなかった。 #幸せをテーマに書いてみよう
きれいに整えた地獄の中を這い回って、必死の思いで掴んだものを幸せだとか呼んだりもする。もっと楽に生きていいよなんて言われても、慣れ親しんだ場所から出て行きたくなどはない。
それが"普通"の生き方だろう。
それって普通じゃないよ、と思う人、地獄を整える必要のなかった人については、ごめんねここでは省略させてもらう。
その"普通"の輪郭を、ゆるめられたらと思って書く。
結論、私たちは全員、幸せになるようにできている。
最近そんな考えを持ちました。
生まれもった、ありのままの性質を貫き通す、それでよかった。手の込んだ工夫、必死の努力、我慢、必要なかった。それでいいのに、それができない人たちがいる。
その一人はもちろん私のことだった。不幸ぶっていた。いや、不幸だった。工夫も努力も必要だった。ここまで生き延びるためには絶対に必要だった。不幸でいなければ生きていられなかった。
それでも、幸せへ向かう道はいつも必ず伸びていただろう。
私にはそれは道には見えなかった。ただの危険な吊り橋だった。
その道だけは選びたくないと頑なに我が道を進む。どんなけもの道でもいつ落ちるかわからない吊り橋よりも断然マシだ。
「幸せにだけはなりたくない。」
気づいてしまった。結局のところ、それが私の認知できる最下層の本音であり、エゴの必死の抵抗だった。
去年の秋。
私たちの小さな会社は火を吹いて落ちていった。私はそれを一人で胸にだきしめて、ただ一緒に落ちながらこんな日記を書いていた。誰にも助けを求められなかった。
何か伝わるものがあればいいと願って手書き写真を貼り、読みづらいので、読んでほしい一部のみ写真の下に文字に起こしました。
回転 2018/10/12
私は... ほっといたら不幸になるようにできている。
何かが間違っている、根本的に。OSを書き換えないと私は永遠に幸せにはなれない。正常な人が右回りとすると、私の体内では何かが左回りに回っている。自分にもコントロールできないこの原動力。
幸せになろうとするかしないか。思えるか。結局のところ私は思えない。真剣に取り組めない。自分の何かをかばうのに精一杯で、なんとなく、マシに、指摘されないように生きるだけ。
(中略)
分かっていても、もう少し、私は左回りに回っていたい。私はそのように出来ているのだ。
私は今、「幸せ」という言葉を「ありのままで愛される(敬意を払われる)」という意味で使っている。
幸せになど、なってはいけない。今までの自分の努力、功績はどうなってしまうのか。ありのままの自分が報われて、努力した自分は報われない、そんなことはあってはならない。
私だって最初は素直に右に回っていたのかもしれない。いつの間にか左に回され、それが自然になっていた。気づくこともできなかった。もうずっと、左回りのほうが慣れている。今更、逆に回転しろとはよく言ったものだ。
ありのままの私なんて、とんでもない。
役立たずで嫌われる。意志薄弱で、何もできない。
だからもっと頑張るから、許してほしい、一緒にいてほしい。
この頑張りから手を離してはならない。
落ちて、死んじゃうよ。
と、思っていた。
確かに落ちるけど、無事に着地できそうだ。
問題ないどころか、落ちた先こそ天国なんだろう。
私は今、恐る恐る手を離しかけている。
最近いくつかの出来事がかさなり、私はもう不幸ではいられない、と思うようになっていた。逆に、それなしには思えなかったと思う。
この話はまた別に書きたい。
幸せにだけはなりたくない私たちも、幸せになるようにできている。
私の言葉は、読んでくれているあなたにどうしたら届くだろう。
そのことをずっと思っている。まさに私の場合の不幸とはこういうところにある。読んだ人に、届いてほしい、通じてほしい、わかってほしい、好いてほしい。届いたら嬉しいし、届かなかったら悲しい。
しかし、届かなくてもたとえ嫌われても、私は私のままであっていい。嫌われたくないエゴに対して、ここの踏ん張りをきかせられるかどうかが勝負だと思っている。
そもそも、放った言葉が人に伝わるなんてことは、まさに奇跡的なことなのだと自分に言い聞かせている。それぞれの幸福論があっていい。
最後に、初期仏教の「慈悲の瞑想」の最初の一文を引用したい。メンタルに効くと心理学や脳科学からも認められつつあり、別にヤバい文章ではない。
私は幸せでありますように
そのあと、私の親しい人が幸せでありますように、私を嫌っている人が幸せでありますように、生きとし生けるものが幸せでありますように、と続く。
他者のことを祈ることもたいへんなことだが、自分自身についての幸せを願うこと、これほどつらいことはなかった。
一度、口に出して言ってみて、その感触を味わってみてほしい。
正直、私はまだエゴが元気でかなり気持ち悪い、それでも私は私に幸せであってほしい。
そのために生まれてきたんだから、思い出したいよ。
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「幸せをテーマに書いてみよう」とは...!なんとハードなお題企画だろうと思いました。これをさらっとやってのける無邪気なあきらとさんが大好きです。(←ほんとに良い意味!)あきらとさんの以下引用したnoteや、皆さんの書いたものを読んで、自分も書いて、これはとても貴重な企画だったな、と感じています。
最初聞いたときは、絶対に後味の悪い話になると確信していたものの(笑)少し考えが傾いてきたので、予定とは少し違う話を書けて少しほっとしています。関連する話は今後も書いていきたいと思っています。
あきらとさん、良い機会をありがとうございました。
そして私のお話を読んでくださった皆様、ありがとうございました。