メタバースの最前線に加わる前の覚書
はじめまして、しきはふりです。
2022年4月16日からメタバースの会社に参加することになりました。
そこで、メタバースの最前線に加わる前に、今のわたしの中にある「電脳世界(サイバースペース)がこうなったらいいな」という思いを書き出しておこうと思いました。
※電脳世界(サイバースペース):コンピュータやネットワーク上に構築された仮想的な空間のことを指す(Wikipedia参照)。ちなみにメタバースはサイバースペースより狭義な概念らしい。
実際は現実的ではなかったとしても、わたし自身がきっと必要な覚書です。
無名の質を実現できる、
多層的で集積拡張が可能な世界
わたしの「電脳世界(サイバースペース)がこうなったらいいな」という像は頑張って文字に落とすと、こんな言葉になります。
概念的ですが「無名の質」「多層的」「集積拡張」の3つが欲しい。
でも、これだと何を言っているかわからないので、整理してみます。
無名の質
「無名の質」とは、都市計画家・建築家であるクリストファー・アレグザンダーが著書「時を超えた建設の道」(1979)で「理想とする町や建築のイメージ価値」とした概念です。
ものすごく雑に説明すると「自分が生活する中でしっくり来る街や建物が持つもの」を「無名の質」と彼は呼んでいます。そしてそれは、自分が所属する特定の文化圏やその問題を共有する人間の集合が、自分たちで問題を解決する(形をつくる)ことで結果的に備わっているものであるとしています。
その何が論点かといえば、人が生活をする街や建物は、自分の一部のように違和感なく、しっくり来るものであることが理想だ。という話です。
なぜ、建築の概念を出すのか?と疑問に思うかもしれません。
しかしながら、ちょっと考えてみてください。
電脳世界とは人が住む新たな「場」であり、
即ち物理世界の「街や建物」と本質的(Virtual)には同じものを指します。
先程の説明の「街や建物」を「電脳世界」に置き換えると以下のような文章になります。人が生活をする電脳世界は、自分の一部のように違和感なく、しっくり来るものであることが理想だ。直感的に正しそう・・・?
これは、実現されることが当たり前のことかもしれません。しかし街や建物でも計画的に作る場合には、これを実現することが難しかったりします。何が難しいかは別の記事でまとめようと思いますが、電脳世界にも現実の街や建物と同じように「無名の質」が実現されていると良いなぁとわたしは思うのです。
多層的
わたしが挙げた多層的には、2つの意味を含んでいます。
① 1人が複数のアイデンティティを持っていて(分人で)も良いこと
② 複層的に要素が存在し、表示の選択と組み合わせができること
①は、電脳世界の自分のアイデンティティの同一性の維持と、自分が持つ複数のアイデンティティを接続させない権利がある必要があると考えます。
セキュリティや犯罪防止の観点からの、表面に表示しないシステム面での実名登録等は許容範囲だと思うのですが、電脳世界側に表示される情報について「実名と統合しなければならない」や「物理側のアイデンティティと統一しなければならない」というようなルールができてしまうのは避ける必要があると思っています。
②は、自分の必要な情報が選択的に表示できると同時に、表示・非表示の両情報を含めた集計結果が反映される必要があると考えています。
例えば、同一のVR空間に訪れた際に、昆虫のようなオブジェクトがどうしても苦手な人には、その空間内に昆虫のオブジェクトがあったとしてもそれは見えず(別のオブジェクトに変換されるという解決方法でもありかもしれませんが)、苦手ではない人は見える。他方で、昆虫オブジェクトは見えていなかったとしても、昆虫オブジェクトが見えている人の振る舞いや行動が、昆虫オブジェクトが見えていない人にもフィードバックされる(これは自然にするのは簡単なことではないかもしれません)。
また、上記のような、引き算的目的だけでなく、足し算的目的で利用することもできるべきでしょう。
ただし、必ず表示されるべき情報もありますし、自分の必要な情報が選択的に表示できるということは、情報の不平等を意図的に発生させる仕組みを実装するということかもしれません。また、SNSの問題点として議題になっているエコーチャンバーをより強く引き起こすかもしれません。そして、それらによって享受できる利益の偏りや対立も発生します。これらが、大きな問題に発展しないように試行錯誤を繰り返し、様々な仕組みや文化醸成を考える必要があるのかもしれません。
集積拡張
ゼロイチではなく濃淡ではあるのですが、日常的に使うSNSなどのユーザ投稿型のWebサービスについて、わたしは、個体拡張を重視するものと、集積拡張を重視するものがあると思っています。
これはわたしの直感的に感じるサービスの提供思想なので、定義が曖昧なのですが、具体的な要素としては「多層的」の①と一部かぶるかもしれません。
個体拡張を重視するものは、現実の人間関係や仕事を補強することを志向しており、アイデンティティも明確化して唯一性を高める傾向が強いものです。SNSやCGM上のコンテンツの消費価値は投稿者の投稿でほぼ完結し、アノテーションやコメントはあくまでも投稿されたメインコンテンツの消費方法に影響は与えません(揺らがさない)。実サービスとしては、Facebookが特に代表的で、YouTubeやインスタグラムなどもそういった傾向があると考えています。
利点として、面白い人(クリエイター)が明確に可視化され、還元等も実装がしやすくなります。クオリティが高いコンテンツを生み出す人にちゃんと還元されるということは、継続的な提供も可能にします。また現代の社会常識としても自然であることも重要かもしれません。
集積拡張を重視するものは、人間自体よりもコンテンツや情報の集積を志向しており、匿名もしくは半匿名によってアイデンティティをあえて曖昧化や分解する傾向が強いものです。SNSやCGM上のコンテンツの消費価値は、最初に投稿したコンテンツ本体だけではなく、追記、アノテーションやコメントによって大きく変容されてしまいます。実サービスとしては、Wikipediaやニコニコ動画が代表的です。
利点として、その変容性から非投稿者もコンテンツに対する当事者意識を持つことが可能となる傾向を指摘できます。ただし、大きな欠点として価値が投稿者個人の成果とみなされづらく、関わったとみられる参加者の数が多くなるために、還元も難しい構造となります。更に、クオリティを担保するのも難しいかもしれません。また投稿したコンテンツが、追記、アノテーションやコメントによって大きく変容してしまうという性質は、現代の社会常識からは少々不自然に感じられるかもしれません。
このように定義した上で、わたしがあえて集積拡張を志向するのは、電脳世界は、クリエイターやすごい人だけで作られるのではなく、普通の人の生活によってこそ作られると考えているためになります。
クリエイターやすごい人に還元はもちろんしなくてはならないし、ニコニコ動画のコンテンツツリーのように、その仕組がなければならない。しかし、普通の人の行動やコメント、アノテーションが集積され、その結果として電脳世界が変容してより楽しい場所になる仕組みが確実に必要だと考えています。
おわりに
自分のぼんやり思っていること文章にまとめる。というのに久しぶりに挑戦しましたが、なかなか納得行く形にはならず、難しいですね。
今回の記事は、ただ本当に言葉の説明だけでした。
・実際はどうで、どんな問題があるの?
・わたしの思う電脳世界を作るためにどうしたらいいと思っているの?
そんな具体的な話を書き出す特訓をしていこうかなと思っています。
もしその時お見かけしたら、ちょっと読んでみていただければ嬉しいかもしれません。
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