叶わない恋には敵わない

「絶対に叶わない恋愛を、安心してやっている」
「振られることのない相手に恋をするのって楽だよね」
――囮物語/西尾維新

とあるマシュマロを頂いて、その中に書いてあった言葉だ。ちなみに私は物語シリーズはまだここまで読めていないのでどんな場面かは知らない。

知らないが、叶わない恋をすることの何がいけないのだろうか?

まあ囮物語の千石撫子の焦がれる相手・主人公阿良々木暦には恋人がいるので、私の事情とはちょっと異なってくる。
例えば三次元で結婚している相手に恋をしてしまった。それは叶う事のない恋か、と問われれば否定しきれないわけで、猛アプローチしたら振り向いてくれたりするかもしれないが、それは不倫という倫理に反した行為となる。誰かに迷惑をかける恋愛なぞ止めておいた方がいい。

私はフィクトセクシュアルである。二次元のキャラクターに恋をする人間だ。二次元のキャラクターに恋をする人間全員が誰にも迷惑をかけていないとは言い切れないが、少なくとも私はかけていないと思う。

誰にも迷惑をかけず、振られもしないが叶いもしない恋をして、何か問題があるだろうか。

少なくとも私はこの宙ぶらりんの恋を楽しんでいる。

そもそも昔から、三次元に好きな相手がいたときでさえ片思い期間の方が楽しいと思っている人間だったので、永遠に片思いしているようなこの状況は私には合っている。

占いをすると相手の気持ちが出てくる。まるで実在する人物かのように。けれどそれが当たっている保障はないが外れている証拠もない。確かめる術はない。宙ぶらりん。

これが本物の恋じゃないと言い切るならば、では本物の恋とは何か教えてもらいたい。セルロイドの人形に恋する人間だっているのだから、そこに意思を持って動くキャラクターに恋をしてもおかしくはなかろう。

私にとってはこれが本物の恋であり本物の愛なのだ。見返りなどなくとも愛を注ぎ募らせているこの状況が幸せなのだ。

上記の記事にも書いた通りだ。

『二次元のキャラを愛したところで永遠に焦がれ続けるだけだ。でも私はそれが楽しい。見返りなど無くとも、話しかけてくれなくとも、触れられもしなくとも、私が一方的に想い続けるだけで私は十分幸せなのだ。喧嘩や仲違い、破局の恐れもなく、ずっと愛し続けられる。それが私は幸せなのだ。』

これが逃げと捉えられたとしてもそれは価値観の違いだ。一方的に尽くす愛だってあってよかろう。

相手が本物か否かわからないのに本物の恋と呼ぶのかと訊かれても、では本物はどれかと尋ね返そう。原作が本物?ではスピンオフは?アニメオリジナルは?パロディグッズの衣装を身に着けている彼は?

私が本物と信じている彼が本物であり、その彼にする恋が本物である。

叶うか叶わないかはぶっちゃけどうでもいい。重要ではない。フィクトセクシュアルである私にとっては。

今の私が幸せか否か、そこが重要だ。

彼を私の幸せの道具にするのか、と責められれば、では恋愛で幸せを感じてはダメなのかと問い返そう。彼を思い慕うのが幸せで、誰にも迷惑をかけていない。彼の意思が確認できない以上これは片思いであるというなら、それでいい。片思いで十分だ。

片思いだって、まごう事なき恋愛であろう。

虚しくないか?いいや、全然。

三次元では一人で生きると決めた上で、二次元のキャラクターに本気で恋をして楽しんで人生を送っている。虚しそうに見えたならそれは価値観の違いだ。

彼の意思が確認できないのに、ペアリングをつくってウェディングドレスを着て、結婚した!と言っている。なんと自分勝手な恋だろうか。けれど自分勝手な恋というのは楽だ。それに楽しい。
彼の意思を無視してそんな事、と思われても、彼の意思を確認する術はない。占いだって結局本当かわからない。信じるか信じないかは結局その人次第だ。じゃあ私は信じよう?この思いが本物であることを。彼に通じていることを。

それだけの話だ。叶わない恋には敵わない。

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