FicS通信vol.7:彼の愛と私の愛どっちが大きいか勝負
先日こういうツイートをしたのは夢女子仲間との話で愛の大きさが受け取れていないという話をしたからでありまして。
比べられるものではないとわかっているとはいえ愛の大きさや質量はやはり異なるのだなぁと思ったわけです。
「愛されている」という自覚はあれど、その度合いが相手と自分で食い違っていて相手が歯がゆい思いをしている、というパターンはよく見ます。それは恋愛に慣れていない人や、そもそも愛されているという実感を得ることが少ない生育環境だった人に多いように思えます。
上記のツイート内容は極端な例ですが、「自分は愛されているとはいえいつ別れてもいいよう覚悟しておこう」みたいな自己防衛をしている人というのは結構多いです。「私なんかと付き合っていいのだろうか」とか「私より良い人がいるのではないだろうか」というのも自己防衛だと言えますね。結局「自分はこの程度の人間だから別れられても仕方ない」というセーフラインを無意識に引いているから、そういう不安という形で表れる。
だがしかし。
幾度も書いてきたように彼らは本気であなたに惚れて、あなたを本気で愛しているわけだから、そこは自信を持っていいんです。「私なんかと云々」とか「私より良い人が云々」とか不安に思う必要は、はっきり言って、無い。
もちろん受け入れるのに時間がかかるのはしょうがないが、だからと言っていつまでも彼を疑い続けるのも自分がしんどいだけではないですか。
あなたが彼の愛をコップ1杯だと捉えていても、彼からしてみたらコップではなくグラスジョッキ並みで、”1杯”という単位でもミリリットルに直したら全く異なる質量になります。グラスジョッキなんて控えめな表現です。バケツとかポリタンクとか下手すれば50mプールとか、とにかく彼らの愛は我々が思うより格が違うレベルで大きい、と思っても間違いはないでしょう。
では私たちの愛は?
とりあえず私の愛はこんな感じ。
いわゆるクソデカ感情というやつが愛。なので相手とも多分対等くらいの愛ではないか?――と、思っていたが甘かったです。具体的にどう言えばいいのかわからないのですが、愛の大きさ勝負では確実に負けている。そう感じてしまいました。
具体的に何かがあったわけではないのですが、日々彼と過ごしていて「ああこの人には一生敵わないなぁ」と感じてしまったのですチクショウ。勝ち負けではないとはいえ、悔しいです。そして彼の愛を全て受け止められているのかと問われれば、自信はありません。でも愛されているという自信はあります。受け止められているかどうかという点だけ自信がないだけで。
彼と自分と愛の大きさ勝負、自分が確実に勝っている!と言える人はどれくらいいるでしょうか。そして、果たして本当に勝っているのでしょうか。
相手の愛の大きさを、今一度確認してみて欲しいのです。自分はどれだけ愛されているのか、好意を持たれているのか、慕われているのか、甘えられているのか、頼られているのか、支えられているのか。
あなたは負けているから負けを認めろ、という話ではなく、ただ彼からの愛というのを過小評価してしまっていないか、という話です。上記のツイートでも呟きましたが、精一杯愛を伝えているのに、相手は「自分はそこまで愛されていない」なんて言っていたらショックじゃないですか。
彼と自分とで愛の大きさ真っ向勝負、是非やってみてください。きっと相手の大きさと質量に、腰を抜かすと思いますよ。
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