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人生の計画は完璧なのに
僕は計画を立てるのがとても好きです。
例えばお金なら生活防衛費として生活費3ヶ月分を貯めて、残りは積立NISAと仮想通貨。
1ヶ月の生活費は全て合わせて約20万円なので生活防衛費は60万円。
それを貯め終えると、何か急に現金が必要になったときのために少しの現金貯金と、後は残りの2つに注ぎ込む。
そのために積立NISAとは何かを調べ、仮想通貨を何が将来伸びるのかなとあれこれ調べながら予想するのが楽しく、これら全てがうまくいったときどうなるんだろうなんて夢を膨らませています。
そして仕事の面の計画では、どうにかして今の会社の辞めたいので、どうしたら辞められるかを考えそのための計画を立ててみています。
こうして書くことが好きなので、書いて生活出来たらいいな。
そしてただクラウドワークスなどて決められたテーマを書くというより、自分が培った経験を活かせてそれを困っている人の場所に届けて、その役に立った代としてお金が貰えたらいいな、それで生きていけたらどれだけ幸せだろうと思っています。
じゃあ書くことでお金を貰えるには何を自分は届けられるだろうか。
その実験は今、TikTokもInstagramとブログで行なっています。
生活出来るほどの収入は全くありませんが、時々やってくる案件で高校生のお小遣いくらいは貰っています。
その延長線上にあるものを信じて積み重ねるだけなのですが、僕はそれと同じくらい感じていることがあります。
それは「四季を感じる余裕と、もっと色んな世界を見たい、知りたい」ということです。
歳を重ねるほどに四季をただの温度の変化として受け取るようになり、着る服の変化くらいにしか感じなくなってきました。
そもそも四季がある国も少なく、それすらも満足に感じていないことに勿体無さと虚しさを感じるようになり、日本という国を知りたいと思うようになりました。
もっと色んなことを知りたい、自分の中に感じたい、そんな気持ちが年々強くなっていっています。
10代の頃に考えた「何のために生きているんだろう」が「何をして生きていきたいんだろう」に形を変えてやってきたように思います。
このまま生きていくことに感じる緩やかな絶望感。
苦しく辛いと感じるがどうしようも出来ない絶望ではなく、なんとなく見えてしまった楽しみではない未来。
この先どうなるんだろうという不安。
漠然としすぎて何が不安かわからな分からない不安。
そういうものとは全く別の、変化がないことへの不安。
これほど怖いものはないと感じてしまいました。
だからこそあれこれ計画を立てて、逃避をしてみるが結局行動しないとアイデアだけでは何も変わらない現実。
5年後の自分がこれを見てなんて思うのだろうか。
こんなときがあって良かったと思える今でありたい。