小さい頃描いた絵がでてきたよー 【その3】
こんにちわ!
イラストレーターの鹿角時計です(⭐️ ´ Å ` ⭐️)!
仕事の話ですが。
交渉ってむずかしいんだなぁと、
受注者としての立場が
プレパラートガラスより脆いなぁ痛感してる毎日です。
何事も忍耐と工夫を継続です。
(こころは荒んでいるけど、見せないようにしたい)
■ 小さい頃描いた絵がでてきたよー 【その3】 ■
今日で三回目
「何回やるんじゃーい」と、言われそうですが
7回までやります。
え?
いえ、意外と一枚一枚画像のレタッチとか編集とかしてるんですよ。
ちゃんとPhotoshopで。
まず画像を回転させて
遠近法切り抜きツールとゆがみフィルターでまっすぐになるように調整して
明るさ、コントラスト、彩度を調整して
あとはアクションで自動的にWeb用に保存して、
元画像と書き出し画像に分けて、フォルダごとに保管する。
って感じを11回繰り返してます。
■ 絵
子供の頃に描いた絵って本当に見ていて色んな発見があります。
自分が描いたからこそ批評的な分析に何の容赦も躊躇もなく行えるという点はとても価値があるように思います。
というのも、子供の作品は技術ではなく感性の方に重きをおいているように感じます。その心を基準として描いたものについて「指摘」「評価」などをすることは本来必要のないもの、聖域として守られる領域にあるべきものである気がします。
それだけ、子ども作品を批評するということは困難な精神障壁が高いということをいいたいです。
「子どもが描いた」という免罪符に惑わされることなく、自分の良心に気遅れすることなく、絵を絵として見て、評価を下せるというのは、自分が描いものだからですし、幼い頃の絵が大量にあり比較できるからこそ可能なのだと思います。
そしてそれはとても貴重ですし、貴重故に価値があるということです。
残している人は残しているんでしょうが、一般的に絵を描かない人は小さい頃の絵が大量に残っている人のほうが少ないと思われます。
● 昨日の記事について
昨日の記事はこちら↓
● 見出し画像反省
なかなか気に入っているカラーリングとデザインですが、もうすこし明るくすれば良かったかなと思ったりしています。
● 記事反省
今日の記事と同じですし、見せ方はもっと工夫するとして、テキストの量をもっと増やしたいですね。
分析にしても、思い出語りにしても。
つぶやきを使って短文形式の記事も増やしている今、しっかりとコンテンツとして分厚い記事を日々提供できるように精進します。
しまっせー"( ∩ > Å < ∩ )"!!
■ リンク ■
■ おまけ ■
ポスターカラー四つ切画用紙に描いたキアゲハ
今日の記事の絵はほとんどが四つ切サイズ。
この絵は目の中で混色してほしいので最低でも二メートルくらい離れて鑑賞してもらうと写真に見えるように遠景がぼやけて見えます。
なんだっけ網膜混合だっけ?目の中で色が混ざって知覚する現象
それを意識した作品です。
(⭐️ ´ Å ` ⭐️)ノシ ではまた🌟