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非日常の中の日常

能登に行ってきた。

3日間という短い時間だったが、現状を知るには十分すぎた。
SNSで発信することが、被災者の方にとってマイナスに働く可能性もあるため、できるだけ風景写真で現状を伝えられたらと思う。
能登の海は、普段瀬戸内海を見ているからだろうか、島がなく、とても大きく見えた。しかし、現地の人からすると隆起によって、とても小さくなったらしい。海岸は100m以上先になって、港ももう使えないねと、寂しそうに口にされていた。

今回災害ボランティアの参加を受け入れてくださったNGOの代表は1月2日から現地で活動していた。東日本大震災をきっかけに、災害ボランティアで行きていこうと決意したらしい。

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そして、私が行った時の参加者は、ほぼ全員、何度も来ている方々であった。

聞くと、やはり1月2月よりはボランティアの数が減っているらしい。それに、そもそものボランティアも少ないみたいだ。
私自身も能登に行くまでに8〜9時間はかかったこともあり、アクセスの悪さがボランティアの数を減らしているのかもしれない。

NGO拠点の廃校舎から

私はご存知の方もいるだろうが、大工になったきっかけが、災害支援で力になれる人間になりたかったから、という経緯がある。
今回、友人に背中を押していただき、初めて能登ボランティアに参加させてもらった。

大きく傾いた木と電柱

もちろんNGOの内部や、ボランティア参加者の中に大工さんはほぼおらず、1名だけNGOに属している方で見習い大工さんのような方がいたくらいであった。

私は参加当日から、水害の被害にあったお宅の玄関扉の引き戸を修復、
屋根の解体、新しい拠点の水道工事など、
普段私が空き家再生で行っていることが存分に活かされ、結構役に立てたのではないかと感じている。


最終日はある商店の倉庫の棚の引き戸が動かなくなったから直して欲しい、もし可能であれば棚も作って欲しいということで、
地震で倒壊した家屋の廃材の中から使えそうなものを選んで、即席で作った。
お母さんもとても喜んでくれ、またおいでねと声をかけてくださった。
許可をいただいたので、棚とお母さんと私の写真も添付する。

やっていることは普段やっていることと同じ

多分今のスキルでも、被災地で活動することは、とても役に立てる確信を持てた。
これからも行ける時に行ければと思う。

話は変わって、先日、私のゲストハウスに移住検討されているご家族が宿泊され、
まちづくりについて熱く語った。
私がそう思っているだけかもしれないが、思い描いているビジョンがとても似ている気がして、個人的にはぜひ移住して欲しいなと感じた。
どんどんプレーヤーが増えて欲しい。
プレーヤーが増えた先に、挑戦者が挑戦者を呼ぶ「ムーブメント」が必ず起こると信じている。

そして、その移住検討者さんが来られる日、私はといえば、三原4大祭の一つ「浮城祭り」の会場設営を手伝っていた。
いつも通り、「これ1日で作れるのかな?」と思えるような痺れるスケジュールを組んでいただき、2週間以上前から不安でずっとそわそわしていた。

いつも難題ありがとうございます。

祭りの中でアルミのトラス(入場ゲート)以外の木造の造形物は全て私が作ったものだ。
スタンドテーブル、東屋の中のカウンターテーブル、入場ゲートの提灯を引っ掛ける謎の棒、
とにかく作れてよかった。

構造物に穴を開けてはいけないという条件付き

祭りの出店者の中に、前回一緒に出店してくださった山下さんと、OBの滝口さんが出店されていたので、朝からコーヒーとスペアリブという謎の組み合わせで朝食を取った。

胃がびっくりしていた

さて、今日も実は移住検討者さんがゲストハウスに宿泊される、大阪の移住フェアで会った方で、イタリア人の男性と、日本人女性のカップル。まさかのイタリア人の方と私が同い年。シャジム夫婦と四方夫婦と同い年、
一旦来て欲しいと猛アピールした。
今日シャジムとも会えるように調整してある。
あのカップルも移住してくれたら嬉しい。

最近急に寒くなった。
大和町はすでに霜が降りている。
凍てつく大和の冬が、着々と近づいている。

ではまた。

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