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ロレンス

幼少期、ブラウン管の向こうに、私は初めての恋をした。

砂漠の真ん中で白い衣をはためかす彼は優雅に、毅然と、颯爽と生きていた。親が不在の六畳間、ビデオデッキに指押す瞬間の高揚感。ピリつく画面に映る彼は永劫不変の美を放ち、私の柔らかい心を虜にする。

どうにかして彼に会わなきゃいけない。この想いを伝えなきゃいけない。熱を帯びた画面に額を押し付けウンウン唸る。この箱の中に彼がいる。この箱の前に私がいる。こんなにも近いのに、余りにも遠い。

幼い私は閃いた。閉じ込められた彼を解き放ってあげよう。帰宅した母は散乱した磁気テープを前に咽び泣く私を見てこう思ったらしい。『この子は頭がおかしい』

あれから三十余年、相応の恋をし、相応の結婚を経て、相応の離婚を経験した私はレンタルビデオショップの事務所で面接を受けていた。

「最後に…これは皆に聞いてるんですけど、貴女にとって映画とは何ですか?」
「ロレンス」

…?何でこんな回答を選んだのだろう。意味不明だ。面接前、くさくさと店内を散策した私は、そこで幼い思い出を見つけてしまったのだ。それに捕らわれていた。挽回仕様が無い悪手だ。

「詳しくいいですか」
「それは…とにかく、ロレンスなんです。アラビアのロレンス」
「あ…分かりました」

落ちたな。そう思った。元来人当たりの良い性格でも無いし、社交性があるわけでもない。まともな職歴も無くのらくらと人生を歩んできた私はアルバイトの面接に落ち続けていた。私が失意に項垂れていると、店長は独り言のように呟いた。

「分かるなぁ」
「……え?」
「いや、俺も分かるなぁって。映画って、個人的なものなんだよ」

店長は私に目もくれず、ボソボソと喋り出した。

「映画館にはさ、沢山の客席がある。沢山の人と同じ映画を観る。でもね、その映画は俺だけの映画なんだよ。100人の観客がいて、皆同じ感想を持つかな。時に笑い声が聞える。え、ここで?ってタイミングで。すすり泣く声とか。冷め切ったエンドロールで、嗚咽を凝らして立ち上がれない時もある。俺の場合、それは『渚にて』だった。スタンリークレイマー、知ってる?」

私は首を振る。そこで彼は目の前に私がいる事を自覚したようだ。

「ああ、ごめん、悪い癖で…つまりね、だから、凄くいいなって思った。意味は分からんけど、俺も映画とは何かって聞かれても、意味わかんないこと口走ると思うし。言語化出来ないんだよ、本当に大切な映画って。言語化出来たとしても、その全てを相手に共感させるのは無理なんだよ。その不確かで、でも大切な、想いこそが映画なんだと思う。だから…うん。悪くない答えだと思う、とても。ドキッとしった。『アイズワイドシャット』のラストの台詞みたいに」

私は採用された。滅びゆくレンタルビデオショップという業界で、一癖あるスタッフ達と共に日銭を稼ぐことになった。その日は思い出の映画を借りて帰り、初恋の男性と再会した。

変わらず美しい彼と過ごした夜を、私は一生忘れないだろう。出会えて良かった。そしてまたいつでも再開できるのだ。私が望む限り。最高じゃないか。私のロレンス。

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