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歯科はなぜ医科と別なのか―歴史の分岐点を探る【③Another view 医療システムの過去・未来・海外】The history; When did medicine and dentistry separate?

 
 こんにちは。『アポロニア21』編集長の水谷惟紗久(MIZUTANI Isaku)です。
 
 私は歯科医院経営総合誌『アポロニア21』で、最新の歯科医院経営の情報を20年以上追い続けるとともに、歯科医療の経済的、社会的、歴史的な背景についての調査や執筆をライフワークとしています。
 本コラム「Another Viewー医療システムの過去・未来・海外」は、現在、当たり前となっている診療システムや保険制度、自費診療の在り方などについて、過去の歴史や海外の事情などと照らし合わせてみることで、今までとは異なる視点から、医療の新しい景色を探してみようという試みです。
 


 今回のテーマは、「歯科はなぜ医科と別なのか」というお話です。医科の中には、内科や外科以外にも耳鼻科や眼科、皮膚など、身体の特定の個所にフォーカスを当てた診療科が多数、存在します。しかし、なぜ歯科は医科の診療科の一つではなく、独立しているのでしょうか。
 医学部を卒業し、医師免許を取得すれば、医師は小児科でも、精神科でも、産科でも診療できますが、歯科治療ができるのは歯科医師だけです。

 その理由について、歯科医師誕生の原点、イギリスの歴史的な観点から紐解いてみたいと思います。


1. 医科と歯科が別なのは、世界共通

 国によって、歯科医師の業務範囲は異なりますが、医師と歯科医師が別扱いなのは、世界各国でほぼ共通しています。(日本は意外なほど広い*)
 中国のように、歯科医師を「口腔医」(ストマトロジスト)、歯学部を口腔医学院と呼ぶ国もありますが、医学部で口腔医を育成しませんし、口腔医学院で医師を育成することもありません。
 「南欧では、医学部を出た後に歯科に進む」と説明されるケースもありますが、これは、医師の専門職(ストマトロジスト)育成課程のことであり、1970年代以降は一般的ではなくなっています。現在まで、医師、歯科医師は世界中で「別もの」として扱うのが一般的なのです。

(*)歯科医師法上、歯科口腔領域の傷病を治療する目的であれば、全身麻酔、腸骨摘出・移植なども認められている。

2. 「歯は命に関わらないから」は誤り

 歯科医師の中には、「全身の病気と違って、歯の病気では死なない」「だから歯科は別扱いされる」と言う人が少なくありません。そこには「だから歯科は軽く見られるのだ」という自嘲が見え隠れしますが、実は、かつて歯が、特に子どもの主要な死因の一つだった時代があります。

 17世紀から18世紀末まで、ロンドン市内の各自治体(教区)で毎週木曜日に発行していた死亡表(Bills of Mortality)には、Teeth、Teething、Dentitionと「歯」を表す死因(特に子ども)が多く見られます。

ジョン・グラント著、高野岩三郎校閲、久留間鮫造訳『死亡表に関する自然的および政治的考察』、第一出版、1968年。


 17世紀には、断続する20カ年の死因のうち、歯関連の死亡数はペストに関連するものとほとんど変わらない割合でした。これらの多くは、乳歯萌出時に起こる胃腸痙攣、発熱だったようで、現在では治療可能な病気ですが、当時は極めて危険なものでした
 いずれにせよ、歴史的には「歯の病気では死なない」とは言えませんし、死ぬ病気を扱うかどうかで、歯科が他の医療分野から分かれたのではなさそうです。

 ではなぜ、歯科は医科と区別されるようになったのでしょうか。このテーマは、歯科医師の多くが関心を持ちますが、実は、はっきりとした理由は分かっていません。だからこそ、根が深いテーマなのかもしれませんが、歴史的には、「この時点かもしれない」という経緯を追うことはできます。
 

3. イギリス18世紀後半:医科と歯科が自然にすみわけ

 18世紀後半のイギリス医学界を代表する外科医として知られるジョン・ハンターは、『歯の病気に関する実用的論文』(1778年)の最初に、外科医とデンティストの業務範囲について言及しています。

・歯、歯肉、歯槽突起などの部位の病気はデンティストの領域
・一般外科に関する知識は、デンティストには必要とされていない

ジョン・ハンター『歯の病気に関する実用的論文』(1778年)

 デンティストの治療範囲は「歯、歯肉」に限定し、「それを超える歯由来のさまざまな病気」は外科医の治療範囲と区別しています。
【例】
◎当時最先端の他家歯牙移植(貧しい若者の歯を抜いて、金持ちに移植)のような技術=外科医の領域
◎抜かれてから時間が経った失活歯(神経が死んだ歯)を用いる方法=デンティストの領域
 紐やプレートを用いた矯正治療も、「デンティストの多くが、こうした技術に習熟している」と述べていて、現在とあまり変わらない歯科治療が行われていたことが分かります。(※ただし、無麻酔)

*John Hunter, A Practical Treatise on the Diseases of the Teeth; Intended as a Supplement to the Natural History of Those Parts, London, 1778.

4. イギリス19世紀:資格試験で医科に歯科が入るか……?

 近代医学が本格的に発展、普及したきっかけは、19世紀に欧米で起こった、
・医学部と病院組織の連携
・医学部の巨大化
だと言われています。

 日本を代表する医史学者の一人、坂井建雄氏(順天堂大学名誉教授)が18世紀までのヨーロッパの医学部の規模とカリキュラムを調べたところ、当時、「一流の医学部」と見られていたハイデルベルグ大学(ドイツ)、ライデン大学(オランダ)ですら、解剖学、薬学、化学、医学理論、医学実地など、あらゆる科目を総勢で3~5人程度の教授が担当するという、今からでは考えられないほど「しょぼい」体制でした。

 しかし、18世紀のヨーロッパ(特にイギリス都市部)で、歯科を含めた医療需要が爆発的に急増(詳細は当コラムの1回目「誰も語らなかった、世界に医療が広がった意外な理由」)。それまでのような小規模の医学部では、巨大なニーズに対応できなくなります。そこでイギリスでは、正規の医師以外で、治療行為を行っている職業人を「医師」にする流れが生まれます。
 
 その一つが、薬剤師の一部を医師にする薬局法(1815年)で、地方の人たちの健康相談に乗っていた薬剤師の一部を、家庭医(General Practitioner)としました。ここで生まれた家庭医は現在も、イギリス全土で国営医療(NHS)の主な担い手として活躍しています。
 薬剤師とともに、歯とその周囲組織を扱うデンティストも「外科医」といして、医師になる新たな可能性がありました。

 しかし、エジンバラ大学の科学史教授、エリック・フォーブス氏によると、1860年にイギリス王立外科協会が実施した、世界最初の歯科医師国家試験に参加したデンティストはほとんどおらず、そこから、歯科の独自の発展が進んだとのこと。

 その理由として、「イギリス王立外科協会が資格試験を主導」というところが、多くのデンティストにとって大きなハードルになったのではないかと考えられます。というのも、当時までデンティストは、徒弟制度やスタディグループのような場で、自己研鑽に励み、自分たちの職業的地位の確立に努めてきました。
 しかし、イギリス王立協会の試験制作メンバーは、歯科臨床に携わらない外科医が中心。資格取得に必要な知識、技量が、実際の歯科臨床とかけ離れた内容になっていました。
 デンティストたちは、王立外科協会の求める試験内容に学習内容を合致させるより、臨床に必要な知識・技術を独自に発展させる道を優先した、と推定されるためです。
 エリック・フォーブスは「歯科は医科に排除されたのではなく、自ら王立外科協会への加入を自分で断った」と結論付けています。

*Eric G. Forbes, The Professionalization of Dentistry in the United Kingdom, Medical History, 29, 1985.
 

5. まとめ

 このように、歯科は医科から排除されたわけではなく、19世紀に医療従事者の専門性が確立する時期、自ら別の道を歩んだと推察されます
 その後、病院を中心に医療、医学が急速に発展する中、病院での活動が少なかった歯科は、医療のメインストリームから離れ、独自の発展を続け、現在に至ります。 そうしたお話については、また次回。


この記事を書いた人
水谷惟紗久(MIZUTANI Isaku)
Japan Dental News Press Co., Ltd.

歯科医院経営総合情報誌『アポロニア21』編集長
1969年生まれ。早稲田大学第一文学部卒、慶応義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。
社団法人北里研究所研究員(医史学研究部)を経て現職。国内外1000カ所以上の歯科医療現場を取材。勤務の傍ら、「医療経済」などについて研究するため、早大大学院社会科学研究科修士課程修了。
2017年から、大阪歯科大学客員教授として「国際医療保健論」の講義を担当。
 趣味は、古いフィルムカメラでの写真撮影。2018年に下咽頭がんの手術により声を失うも、電気喉頭(EL)を使って取材、講義を今まで通りこなしている。 ★ユーチューブ動画★

【主な著書】
『18世紀イギリスのデンティスト』(日本歯科新聞社、2010年)、『歯科医療のシステムと経済』(共著、日本歯科新聞社、2020年)、『医学史事典
』(共著、日本医史学会編、丸善出版、2022年)など。10年以上にわたり、『医療経営白書』(日本医療企画)の歯科編を担当。

【所属学会】
日本医史学会、日本国際保健医療学会

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