武道とスポーツ
2000年初頭、周りの大人たちは皆口々に「武道とスポーツは明らかに違う」と言った。道を極めたり、礼儀や作法を重んじると言った点がスポーツにはあまりないからだ、というのが彼らの主張である。或いは特に意味もなく「明らかに違うんだ」と力説してくる者もいた。
しかし、最近の武道は果たして武道と呼べるのか。20年前と比べると大きく変わってきているのではないか。
近年メディアに取り上げられている武道のほとんどは私が学んできたものとは大きく違い、よりスポーツ色の強いものが増えてきている。
一昔前なら大目玉を食らうような足の動きも今や推奨されるようになった。武道の形は変わってきている。
あくまでメディアやお世話になっている道場での話だが、「身体を動かす楽しさを求めて」来ている人間が増えた。時代というものかもしれないし、私がよく会う方々の多くがそのような目的を持ってきているだけかもしれない。何年経ってもあまり動きにキメがなく、ただ年と共に級が上がっていくだけなのだ。
身近な人々を見てますます武道のスポーツ化が進んでいると実感した。
しかしそう結論づけるのは時期尚早かもしれないと最近思い始めた。なぜなら武道とスポーツの違いを発見したからだ。
それは見た目の形ではなく、門下生の心構えにあった。
数年一緒に汗を流している年配の方々の動きが変わってきたのを感じた。胴着や帯が擦れる音にキレが増してきたのだった。それだけではない、彼らの動きが武道の教えに沿ったものになってきたのだ。
これは単に慣れではなく、各自目標意識を持って聞いたからだと思う。
早く上に行くには、早くものにするには、指導員や先輩の動きを真似るだけではダメなのだ。
動きの意味、使う体の部位、呼吸の大事さや
それらを頭ではなく直感で無意識に制御し、さらには己の体にあったものに変えなくてはならない。ただ拳を出すだけ、足を動かすだけでは1発食らってしまうのだ。
その動きは私が幼少期に伝授された武道の教えそのものだった。
武道とスポーツの違いの一つに「相手を仕留める」があると私は思っている。スポーツのような動きでは力の入り具合や感覚が不充分なのだ。下手をしたら稽古中に自分か相手が大きな怪我をするかもしれないのだ。
武の道を進んでいくには、やはりスポーツとの決別が必要なのだと最近思った。勘違いしてほしくないのだが、決別は意識して行うものではないのだ。無心で稽古に励み、継続は力也を実践し、ある日自分なりの形が出来上がる。その時人は武道とスポーツの違いを見ることができるのではないかと思っている。
ちなみに私は今も鍛錬中の身である。
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