一寸法師のおうまれは?
こんにちは。しかないかよこです。
毎週金曜日の夜は、昔ばなし大学でご一緒するメンバーで昔ばなしを読みあっています。先日の回で話題になったのは、一寸法師。
みなさん、一寸法師はどこの生まれかご存知ですか?
もちろん、昔ばなしは、それぞれの土地に似たようなお話があるので、どこの土地限定ということはないと思いますが、Wikipediaによるとこんな感じです。
一寸法師(いっすんぼうし)は、日本の伽話の一つ。現在伝わっている話は御伽草子に掲載されたものが元となっている。現在一般に知られているあらすじは、以下のようなものである。子供のない老夫婦が子供を恵んでくださるよう住吉の神に祈ると、老婆に子供ができた。しかし、産まれた子供は身長が一寸(現代のメートル法で3cm)しかなく、何年たっても大きくなることはなかった。子供は一寸法師と名づけられた。(Wikipediaより引用)
一寸法師のおうまれは、住吉の神、つまり、大阪のすみよっさん(住吉大社)のご近所です。住吉大社のホームページにも掲載されていました。
私の手元にある本『ふるさとお話の旅 奈良・大阪』星の環会 は、奈良・大阪のお話を集めたものです。
文章は、べたべたの関西弁。ネイティブ関西人向けです。
今日は何を読もうかとパラパラとめくっていたら、一寸法師のタイトルが目に留まりました。私は、一寸法師が大阪のお話という印象がなかったので、さっと目を通してみたら、一寸法師のセリフだけ標準語。「面白そうだから読んでみて」というわけで読むことになりました。
おはなしの冒頭は「昔あったんやけどな。摂津の国に・・・、」で始まっています。これだけで、私の頭には、生駒山系を望み見る大阪の風景が頭に浮かびます。
成長して京の都へのぼる時は、「針の刀をさして、お椀の舟に箸のかいで、ぎっちら、ごっちら、ひっくりかえりそうになりながら、淀川をのぼっていったんやと」と書かれていました。(あー、あの川をのぼって、京までいったんやな、とまたまた京都に繋がる淀川が頭に浮かびます)
肝心の一寸法師の標準語のセリフですが、おじいさん、おばあさんのところから出かけるときは、
「京の都へのぼって、立派な大人になりたいんです。」
「それでは行ってまいります」
と摂津で育った人とは思えない言い回しです。
対する、おじいさんおばあさんの言い回しは
「急にそんなことを言いだして。いったいどうするつもりやねん」
おかげで、一寸法師の超越性が際立っています。
一寸法師の出身地以外にも、驚いたことがもう一つあります。おはなしに登場するお姫様は、13才の設定でした。「なんで13才なんやろ?」と疑問の声があがりました。「十三詣りの歳やからと違いますか?」と私が答えると、「十三詣りって何?」と尋ねられました。
「十三詣りってローカル行事なんや!」とまたまたびっくりした私です。
ちなみに、一寸法師が掲載されている別の昔ばなし集を持っているメンバーがいました。その本の一寸法師は、越後の生まれでした。成長して京にのぼるところは同じです。
むかし話って、本当に地域色が色濃くでて、面白いなぁと思いました。
そして、自分の慣れ親しんだ土地の名前や習慣がでてくる昔ばなしをお国言葉で聞く心地よさは格別だと改めて思いました。
この日に読んだおはなし
「きつねの玉のとりあい」 『日本の昔話1 はなさかじい』より
「落ちたかみなり」 『ふるさとお話の旅 奈良・大阪』より
「一寸法師」 『ふるさとお話の旅 奈良・大阪』より
「なぞ問答」 『日本の昔話1 はなさかじい』より
「なぞ問答」では、孫がおじいさんにさずけた知恵の一つに、「四万八鍬打ちました」というフレーズがでてきます。「なぜ、四万八鍬なのかわからない」とみんなで頭をひねりました。
金曜日の夜、おはなしが好きなメンバーで集まり、昔ばなしについてよもやま話を楽しむ、とても心地よい時間です。おはなしで満たされて床に就く、子どもたちが幼かったころ、毎晩繰り広げていた何とも心地よい眠りへの誘いを、週に一度、味わっています。