うつろなふろく屋(古賀及子)
雑誌のふろくを売る店があるらしい。そもそもはマンガの単行本を主にあつかう小さな古本屋なのだけど、店の中心の棚にさまざまな少女マンガ誌のふろくが大量に並んでいるのだという。
小学3年生くらい、私も近隣の友達も補助輪の取れた自転車を手に入れた頃だ。当時はビックリマンチョコが大ブームをまきおこしてあちこちで品切れが相次ぎ、入手のために遠地のスーパーにかけつける必要性が発生して、私たちは小さな自転車にまたがってその行動範囲をじわじわ広げていたのだ。
ふろくを売る古本屋も、きっと同級生の誰かがビックリマンチョコを探す遠征の途中で見つけたのだろう。私たちはその店を「ふろく屋」と呼び、とはいえ真偽不明のまま噂だけがざわざわとゆらめきながら知れ渡っていった。
私が暮らしたのは神奈川県の郊外だった。あたりは行けども行けども住宅が広がる。バスも電車もそこらをうねうね走り、幹線道路もずどんと通る。東西南北どこに自転車を走らせてもどこかしらの駅や店にたどりついた。
北には大きな駅があってデパートや大型の商店が並ぶ。東は国道が走り大型の家具店やファストフードの店が建つ。
子どもだけで攻めたのは小さな私鉄の駅がある西側と、大きな書店があった南の方面で、うわさのふろく屋は西の駅を超えた向こうを走る県道沿いにあるらしい。
西側といえば、ビックリマンチョコが寸断無く入荷することで子どもたちの間で絶大な信頼を誇ったチェーンのスーパーがある。スーパーの前には平屋だが広い、ファンシーショップの品ぞろえを充実させた文具店が構えていてここもたまり場だった。いつか、肝いりの新商品として1メートルほどある長い消しゴムを扱い始めたのは忘れられない。長いままつかんでうねうねさせながらレジまで持っていくと、指定の長さに金太郎飴のように切って売ってくれるのだ。何本もの消しゴムが棚に詰まれ、横から見てもなんの柄かが分からないから、みんなで棚の脇に寄って切り口の側をながめて柄をたしかめ品定めした。
当時の私は背が低く、学校の朝礼で背の順に整列すると一番前かその次だった。思い出す視点もぜんぶ位置が低い。ビックリマンを買いに行ったスーパーの入り口や店内は景色よりも床の赤茶けた色が鮮明に思い出され、ファンシーショップも商品の陳列が見上げる視界で記憶されている。
だから、探して見つけた噂のふろく屋の光景も、目の位置が低いようすで覚えている。天井に斜めに設置された万引き防止の見はり用の大きな鏡が、覚える景色の多くを占める。
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