古賀及子の『気づいたこと、気づかないままのこと』 第5回「いちじく」
祖母の家は庭のない、しかし戸建ての四方におおむね70センチくらいの隙間があって周りを一周できた。
玄関の両脇、間口の部分は歩道に面しておりフェンスが立っている。バラとクチナシがフェンスにもたれるように植えられ季節ごとによく咲いた。フェンスに沿って西側に折れる角にはビワの木が育ち、これは2階のベランダまで葉が届く。よく実のなる年、そうでもない年が不思議とランダムにめぐる木だった。
西側の路地は日が当たらずじめっとしている。ぼろぼろのポリバケツが置いてあってここに祖母は可燃ごみをためていた。蓋のヘリが折れに折れてなくなって、もはや落し蓋みたいになってはいたけれどギリギリ蓋としては機能していて、ポリバケツのわきのあたりには夏にミョウガがはえた。祖母はつんでそうめんの薬味にして食べていた。
思い出せないのがいちじくの木の場所で、あれは玄関の東側だったか、いや西側、ビワの木の隣あたりだったか。家の1階の高さくらいまでには成長し、ちゃんと樹木といえる大きさだったと思う。
ただ、なかなか実はつかず、祖母の家に10年ちかく居候した私も長くこの木がいちじくだとは知らなかった。
どういうことなんだろう。植物には詳しくないが、突如として受粉のチャンスが訪れたとか、そういうことだったんだろうか。大きな手形のような葉だけが常にざわざわ揺れるこのいちじくの木に、祖母とのふたり暮しの続くある日、ひとつ実がなったのだった。
祖母は植物が好きな人では、いま思えばなかったと思う。あれこれにとらわれず、とくべつなこだわりもなく、ただ日々を規則正しく暮らす、そのことだけを願っていたように見えた。寝起きして三食ご飯と、それから午後におやつを食べる、手紙がきたら返事を書いて、贈り物があればお返しをみつくろう。
家事のあいまの時間にはスパイ小説や歴史小説を読んでつけっぱなしのNHKをたまに眺めて書店から届く「暮しの手帖」を繰る。
ごくまれに近所の友達と宝塚の公演に出かけることもあってそれはそれは楽しみしていたけれど、非日常よりも日常の繰り返しがいかに円滑であるかに執心していた人だった。体もメンタルもとにかく丈夫で、いつもほがらかで優しい。健康でおだやかだから日々がぶれないとも言え、日常過激派としての心身そのものだったと思う。
それでも、共にある家の植物が実をつければそれは誰だってうれしい。突如としてなったいちじくの実に、祖母は歓喜した。
大正生まれで戦争の時代を生きた人だから、物への執着は並々ならず、マーガリンの入れ物も洗って重ねてとっておく、一時期は瓶ビールの王冠も捨てずにためていた。植物にはそれほど強い興味はないけれど、よく「実物(みもの)の木が好きよ」と言っていたから、実がつくのならべつで、何もなきところから果物がうまれるなんていうのはたまらない思いだったろう。
あさ出かける前の私を呼び止めて「珍しくいちじくがなったのよ」と祖母はいい、枝に下がるまだ小さな実を指さして見せてくれた。「ぜんぜん生らない木だったのに、急によ」
ところで祖母はいちじくが果物としては嫌いだった。
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