いちいちひとつひとつできるようになる(古賀及子)
できないことができるようになる、その象徴としてインスタントな物語ではよく自転車が描かれる。
大人が支える手をぱっと離すが倒れず自転車は進み、操縦者の子どもは大人が手を離したことをまだ知らない。
ふと、うしろの気配のなさに大人に声をかけると「離したよー」と言う声は背後に遠く、もはや自分がひとりで自転車をこげていることに気づく。
「できない」が「できる」に変わる瞬間において、自転車は他のなによりもドラマチックで、できるようになった様子を描く表現の頂点に今日もかがやく。
そんなせっかくの瞬間だけど、では自分がいつどうやって自転車に乗れるようになったかを思うとこれがどうも思い出せない。
小学校のたしか3年生か4年生のころ、近所の子どもたちのあいだで自転車のチェーンを覆う部分、チェーンカバーと言うらしいのだけど、あの部分に「PUMPKIN」と書かれたカラフルな子ども用自転車が大流行した。
私も親にねだりにねだって買ってもらい、友人らとそろいの自転車に乗って隣町のスーパーにビックリマンチョコを買いに行った覚えがある。そのころにはすでに自転車に乗れていたことになる。
となると、操縦の練習をしたのは就学前か小学校の低学年の頃になるはずなのだけど、まったく覚えがない。私は5人きょうだいの長子で、親は5人にいちいち自転車の乗り方を教えていたはずだ。なのに誰かほかのきょうだいが練習していた様子すら記憶にない。
私の記憶が貧弱なせいで、地球上で私たちきょうだいだけが感動の瞬間を通過せずに知らぬ間に自転車に乗れるようになったことになっている。
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