壊れていくことが怖い
あと10年で50歳になるわたしは、壊れていくことが怖い。
しわやたるみが増えて、醜い老婆になっていくことが怖い。
だれからも可愛いとかきれいとか言われなくなって、女というよりオバサンとして扱われるようになることが怖い。
自分が自分を好きでいられなければ世界は苦痛そのものだ。
それだというのに、老いは皆に等しく訪れて、我々の身体を日々、ひと撫でしては、薄く薄く、劣化の粉を塗り重ねていく。
ああ、無情&無常
こんなことを有名人が書けば、「老いを壊れると表現するなんて不謹慎です!」とか「私は年齢を重ねて生きやすくなりました」とか「子供がいないから自分のことばかり考えてるんですね」とか「年齢=醜さの度合いではない、大事なのは心」などなど、さまざなバッシングにあうんだろうと思う。
でも、わたしは殆ど世間の目に留まらない、こんな、今時もっとも勝ち目のない文字媒体のプラットフォームで書き殴っているだけの市井の人間なので、忖度はしない。
端的に老いは醜い。
かっこいいお婆さんもいる、とか、わたしの祖母は可愛いお祖母ちゃんです、とかそういう話ではなくて。
老いは、醜い。
身体中から水分が奪われて、枯れ枝のような四肢になり、顔に皺が刻まれ、皮膚はたるむ。歯は脆くなり、こめかみは凹み、目は落ちくぼむ。腰は曲がり、脚はガニ股になる。
そんな状態で生きてて楽しいだろうか。
少なくとも、現時点での私の答えは否である。
私は、世間の平均程度にはオシャレが好きだけど。年をとったらオシャレは今ほどは楽しめないだろう。
今、今しか、好きな服を着れない。
今しか。
明日にはもう、変わってしまうかもしれない。昨日までの私とは違うかもしれない。
そう思うと、たとえ1日たりとも、気に入らない装いはしたくないなぁと思うのである。
お気に入りの服を着て、1日でも長く、気分よく生きていたい。