手段としてのサンタクロース
毎年、年末近くになると街中がクリスマス一色に彩られる。日本の場合は信仰心からというよりも、欧米的なものに対する憧れがそうさせているわけだが、ともかく我々日本人はクリスマス的なもののほんの表面だけをコピーし、国を挙げてその華やかな雰囲気を楽しんでいるようだ。それはツリーであったり、イルミネーションであったり、ケーキであったり、チキンであったり、プレゼント交換だったりする。
これだけ多様性の尊重が声高に主張されている現代においてすら、ことクリスマスに関してはとくにムスリムや仏教徒に対する配慮がなされているとは思えない。結局のところ多様性なんていうのはそんなもので、自分にとって実害のない部分においては認めてもよい、という程度のものであり、ほんの少しでも自分の享楽を侵害するおそれのあるものに対しては徹底的に排除、あるいは無視をするのである。原則マジョリティーには勝てぬものと思ったほうがよい。
話をもとに戻そう。
さて、クリスマスプレゼントというものは、青年期以降になると恋人同士で交換されるというのがセオリーだが、もっと幼い頃は「サンタさんがくれるもの」として教え込まれるようだ。(ようだ、と記したのは、我が家においてはそんな文化が存在しなかったためだ)
小さいお子さんがいらっしゃるご家庭では、多くの両親が、あたかもサンタさんが希望の品を届けてくれたかのように細心の注意をはらって巧妙に演出し、子供を欺いている。
だがしかし、当然のことながらこれはいつかバレる嘘である。それもわりと近い将来に。
それなのに、なぜ多くの大人たちはがんばって嘘をつくのだろうか。
果たして、このことに対して明確な答えを提示できる大人がどれほどいるだろう。
サンタさんは架空の存在で、(厳密には外国には居るらしいが、勿論そういう意味ではない)プレゼントを用意しているのは大人だと、なぜ言わないのだろう。なぜ、ありもしないファンタジー、迷信を、国をあげて子供に信じ込ませ、あげく、実は大人たちが総出でついていた壮大な嘘でしたとバラすのだろう。
目に見えないものを信じる力を与えたいのであれば、それは非科学的なものに価値を置こうとする思想の表れであるはずだ。
でも、この国は宗教に対しては非常に排他的ではないか。トナカイのソリで空を飛ぶサンタさんはよくて、アッラーがダメな理由はなんなのだろうか。
私が違和感を抱くのは、非科学的なものに対してほとんどアレルギーといっていいほど過敏な反応を示すひとたちが、同時に、目に見えないサンタクロースを信じ込ませる熱心な活動家でもあるからだ。
職場の同僚(若い子持ち男性1)は、フィリピン出身の女性について「○○は、日本に来たての頃、何かにつけて『神様がなんとかしたからこうなった』みたいなこと言ってて、マジでひいた」と語っていたし、また別の同僚(若い子持ち男性2)は自分の奥さんのことを、「一緒に物件探しをしていた頃、雨が降ると『あの物件は縁がなかった』とか言い出してマジでキモかった。縁とかそんなの無いのに」と語っていた。(ちなみにこの同僚は私が動物占いの話をしたところ、「そんなのはみんなに当てはまるように言ってるんですよ」と取り合わなかったどころか、小馬鹿にしている感じすらあった)
そんなにも目に見えないものを信じることを忌み嫌うのであれば、一体全体、なぜ彼らは自分の子供には「サンタさんはいる」と全力傾注して信じ込ませようとするのだろうか。それを信じ込ませることに、一定期間我が子が品行方正であるように仕向けること以外のメリットが感じられないのは私だけだろうか。
ひょっとすると、サンタは完全なファンタジーだからよいのだろうか。自分たちの生活を脅かすだけのパワーを持たない、ただのお人好しの、プレゼント配りのオジサンだから?そしてキリストやアッラーは、自分たちの配下に置けない、人智を越えてくる可能性があるもの、主導権を明け渡さなければならぬ恐れを秘めているからダメなのだろうか。サンタという胡散臭い存在をいったんは信じ込ませ、のちにそんなものはいないと盛大にネタバレすることで、だから目に見えないものを信じてはならぬという、科学至上主義の申し子たちを培養しているのだろうか。これが迷信を妄信しないようにするための英才教育の一環だとしたら納得がいくのだが。
あるいは「サンタクロースがプレゼントを届けてくれるよ」と子どもたちに耳打ちするのは、彼らを主人公にした物語を4D化するようなものなのだろうか。ハリーポッターの簡易版を体験できるという、ささやかなエンタメを提供しているということなのだろうか。そうだとしたら、たとえ貰えるモノは同じでも、その喜びは親よりもサンタからのほうが増すという前提が必須だ。であるならば、やはり人は潜在的に、非科学的なものに惹かれてしまうという生き物なのだと言えるだろう。
原初は見えないものに憧れてもよいが、やがて、見えないものは存在しないものとして割り切る能力を身に付けなければいけない。
サンタはその教育のための手段であり、人柱である。クリスマスプレゼントは科学信仰を加熱させるための国家プロジェクトであると言っても過言ではないのではないだろうか。